2019年 8月末に、Amazonで、ワックスを探していると、なぜか「読みたいことを、書けばいい。」という本が、関連商品に出てきた。
この本の表紙 (タイトル) を見た瞬間、
初見なはずなのに、なぜかだいぶ前から、この本を知っているような気がした。
だがその時は特に、「買いたい。」とは思わなかったので、スルー、、、。
数日後、気分転換がてら入った紀伊國屋で、適当にブラブラしてると、
平積みの小さなコーナーで、たまたま、この本「読みたいことを、書けばいい。」が、目に入った。
「あ、あのAmazonで見かけた本か。」と思いながら、ペラペラと立ち読み。
本の作者は、全然知らない人だったけど、なんか良さそうな本だったので、
とりあえず、買ってみる事にした。
僕はいつも、あまり悩まずに「直感」で、買うかどうか決める。
でも直感は、いつもベストなタイミングで、その時の自分にふさわしい本をもたらしてくれる。
自分の頭では、そのつもりがなかったとしても。
それでは、書評を始めていきたい。
「読みたいことを、書けばいい。」を読んで。
まずは、この本の構成から。
はじめに : 自分のために書くということ
序章 : なんのために書いたか ー 書いたのに読んでもらえないあなたへ
第一章 : なにを書くのか ー ブログやSNSで書いているあなたへ
第二章 : だれに書くのか ー 「読者を想定」しているあなたへ
第三章 : どう書くのか ー 「つまらない人間」のあなたへ
第四章 : なぜ書くのか ー 生き方を変えたいあなたへ
おわりに : いつ書くのか。どこで書くのか。
因みに、これは、帯 (裏表紙側) に書かれているのだが、
僕は、この本の構成を見て、「この本の著者さんは、僕のために、書いてくれたのだろうか?」と思ってしまった。
なぜなら、本の構成の『サブタイトル』が全て、今の自分に当てはまっているからだ。笑
「一生懸命、書いたのに、全然読んでもらえてない…。」
「記事を書く時に、読者を想定して書いていたのに…。」
「ブログでお金を稼いで、生き方を変えたいのに…。」
ちょうど、こんな悩みを抱えてる頃に、僕は、この本を読み始めた。
この本のこの言葉に、僕は救われた。
ちょうど、この本を手に取ったのは、
僕が、このブログを本格的に始め、数ヶ月経過した頃だった。
1記事1記事、一生懸命書いてきた結果、このブログの記事数は、3ヶ月間で、100記事を突破。
しかし、必死に書いた1記事も、1日一人か二人にしか読まれない。
その記事を必要としてる人に届けたいという思いで書いても、全然読まれない。
読者がゼロというわけではないが、こんなにも読まれないものなのか。
本音を言うと、精神的に苦しさや辛さを感じていた。
だが、この本を読んで、僕は救われた。
精神的に救われた言葉が、たくさんあったのだ。
文章を書いていく上での『心の持ちよう』というか、
『どういうスタンスでいれば、健康的に文章を書き続けられるのか』。
もちろん、全てをここで取り上げることは出来ないが、
今からこの本の中で、僕が「特に印象に残った部分」と、その言葉に「どう救われたのか」を記していきたいなと思う。
はじめに : 自分のために書くということ
この本のイントロは、
著者さんが過去に、職業適性診断で、「あなたはゴリラですか? YES or NO」という選択肢とそのアンサーに出会い、衝撃を受けた話で始まる。
「いまだに、この文言が、強く自分の記憶に残っている。」と。
そして、筆者は、この具体例を通して、こう語る。
そう、自分が読みたいことを書くということは、これぐらいの破壊力がある。これを読んで以来わたしは、「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」という原理に気がついた。
本書では、「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」ということを伝えたい。いや、伝わらなくてもいい。すでにそれを書いて読む自分が楽しいのだから。
自分がおもしろくもない文章を、他人が読んでもおもしろいわけがない。だから、自分が読みたいものを書く。
それが「読者としての文章術」だ。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
そして、
「自分が読みたいものを書く」ことで、実際に「現実が変わる」のだ。
そんな話を始めたい。
と、この本は、スタートする。
序章 : なんのために書いたか
この本の表紙には「文章術」と明記してある。しかし、書くためのテクニックを教えようというものではない。
そうではなく、書くための考え方を示す本である。
(中略)
この本は、そのような無益な文章術や空虚な目標に向かう生き方よりも、書くことの本来の楽しさと、ちょっとのめんどくささを、あなたに知ってもらいたいという気持ちで書かれた。
そして、同時に、
なりよりわたし自身に向けて書かれるものである。すべての文章は、自分のために書かれるものだからだ。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
この章には、本の著者である「田中泰延さんのキャリア」が書かれている。
電通在職中に、『街角のクリエイティブ』というWebサイトに映画評論を書き、その後、電通を退職。
Webライターとして活動している中、この本の編集者である今野さんからオファーのメールが届き、この本を書くことに決めるまでのストーリーも。
そして、今野さんが最初に送ったメールが全文転載されているのが、このメールが凄い!!!
このメールは、編集者の方も、勉強になるのではないだろうか。
かなり長いので、この記事には載せないが、
興味のある人は、是非、この本を購入して読んでみるのが、おすすめだ。
第一章 : なにを書くのか
まず最初に、「文書」と「文章」の違いについて明記されてる。
その上で、
今ネット上にあふれているのは「文章」の方だ。
書きたい人がいて、読みたい人がいる (かもしれない) 、それが「文章」なのである。
僕は、この (かもしれない) という言葉が、響いた。
自分が一生懸命書いた記事が、読まれるかどうか、どれくらい読まれるかどうかは、期待しちゃだめだということだ。
筆者は、そのネットで読まれてる文章の9割を「随筆」だと語る。
そしてまた、この「随筆」の筆者の定義が、シンプルで深く、本質をついているのだ。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
正直僕は、1回目に、この文 (定義) を読んだ時、全く意味がわからなかった。
「事象?」「心象?」
一回読んだだけで、この定義にピントくる人は、かなり少ないだろう。
逆に、一回でピンと来た人は、もう既に文章で飯を食えてる人なんじゃないかな。
それはさておき、
この随筆の定義がよく理解できなくても、その後に、わかりやすく解説してあるので、問題はない。
「事象」と「心象」、
その2つがそろってはじめて「随筆」が書かれる。
人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。
この言い分に、「凄い。なるほどなぁ。」と感じた。
事象よりのものを書くのならば、それは「ジャーナリスト」「研究者」であり、心象よりのものを書くのであればそれは「小説家」「詩人」である。
そのどちらでもない「随筆」という分野で文章を綴り、読者の指示を得ることで生きていくのが、いま一般に言われる「ライター」なのである。
要するに、
僕のような旅ブロガーは、事象よりに振れすぎたら、それは報道になるし、心象寄りだと、感想だけになる。
それだと、ライターの文章は、他人に興味を持たれないということだ。
*また、この章には、24年間、電通で、コピーライターの仕事に携わっていたこの本の著者が熱く語る「広告の書き方」も凝縮されている。*
この本は、ブロガーやWebライターだけでなく、
コピーライターの人 (もしくは、目指してる人) にも、勉強になることが書かれている。
第二章 : だれに書くのか
特に、この第二章は、自分にとって、勉強になる部分が多かった。
そんなに届けたいですか?
マイケルジャクソンに「マイ・イン・ザ・ミラー」という名曲がある。「世界を変えたい?いや、それならまず鏡の中の男、つまり自分を変えなきゃ何も始まらないだろ」と呼びかける歌である。
この章では、世の中にはこびる「だれかにメッセージを届けよう」というメッセージ自体が間違っていることを説明する。
あなたは全くだれからも褒められなかったとしても、朝出かけるとき、最低限、自分が気にいるように服を着るだろう。
文章もそれでいいのだ。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
この言葉は、個人的に、凄く刺さった。
誰かに届けよう!と強く思って一生懸命書いても、全然読まれないというのが、ブロガーやライターの世界。
届けよう。届けよう。としても、逆に空回りする。
出かけるときに、最低限、自分が気に入る服を着るように、文章も書けばいい。
なんか、この言葉を聞いて、スカッとした。
ターゲットなど想定しなくていい
無数の文章術の本に書かれているのが、「読む人はだれかをはっきりさせて書きなさい」というやつである。
そもそれも特定のだれかに言いたいことが「届く」ということが、そんなにあるだろうか。わたしは24年間、広告業界で「コピーライティング」を仕事にしてきた。
(中略)
だが、莫大な宣伝費を使うそれらも、結局、テレビや新聞など不特定多数が目にするところに「置かれる」のであり、「届けられる」のではない。
自分が発信した情報というのは、置かれてるだけである。
確かに、そう言われればそうだ。
自分の書いた記事がどれだけ見られるかも、それをどう評価されるかも、僕にはどうにも出来ない。
それは、他人が決めるものだから。
だれかが書いているなら読み手でいよう
「わたしが言いたいことを書いてる人がいない。じゃあ、自分が書くしかない」
読み手として、読みたいものを書くというのは、ここが出発点なのだ。
読み手でかまわないなら、読み手でいよう。
どこかで読んだ内容を苦労して文章にしてもだれも読まないし、自分も楽しくない。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
僕は、これまで色んな旅をしてきたので、正直、色々な記事を書くことが出来る。
だが、全てを書いてる時間はない。
今までの自分の経験の中から、どう切り取ればいいのか。
すごく悩んでいた。
でも、だれにでも書ける内容を書いていても、全然面白くなく、ブログの記事を書くのが、正直、つまらなくなっている自分もいた。
「だれかがもう書いているのなら、読み手でいよう。」
僕は、その言葉に救われた。
「わたしが言いたいことを書いてる人がいない。じゃあ、自分が書くしかない」
というのを出発点にすると、
凄く自分の気持ちも楽だし、自分がどんな記事を優先的に書いていけばいいのかの基準になる。
これからは、そのスタンスで、ブログの記事を書いていきたいなと思ってる。
何を書いたかよりも誰が書いたか。
さて、あなたは腰の痛みと眠気に耐えながら1万字の原稿を書いた。自分が興味を持った事象について、自分が抱いた心象を、自分が読んで面白いように書ききった。さあ、だれが読んでくれるのか。
だれも読まない。だれも読まないのである。わたしのように、依頼主がいて、その文章を掲載する場所が最初から用意されてあっても、だれも読まない。ましてや、自分で解説したインターネット上のスペースにそんな文章を載せても、だれも読まない。なぜか。あなたは宇多田ヒカルではないからである。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
自分が書いた文章が、どれだけ多くみられるのか。
それは、内容の素晴らしさではなく、それについて関心のある人の多さで決まるということ。
だからといって、中身のない文章でいいというわけじゃなく、書いた文章を自分が、面白いと思えれば、それでオッケーだと。
・たくさん読まれたいだの。
・有名になりたいだの。
そういう姿勢で随筆を書いても、精神的に不衛生になるだけだよね。
読みたいことを、書けばいい。
それが、文章を書くことを長く健康的に続けていくための『心の持ち方』なんだと思う。
他人の人生を生きてはいけない
書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身であるというのがこの本の趣旨だ。満足かどうか、楽しいかどうかは自分が決めればいい。しかし、評価は他人が決める。他人がどう思うかは、あなたが決められることではない。
いずれにせよ、評価の奴隷になった時点で、書くことが嫌になってしまう。
他人の人生を生きてはいけない。書くのは自分だ。だれも代わりに書いてくれない。あなたはあなたの人生を生きる。
その方法のひとつが、「書く」ということなのだ。
この部分にも、たくさんの素晴らしいメッセージが込められている。
もしかしたら、随筆を書く人も、『アーティスト (芸術家)』なのかもしれない。
音楽家も、写真家も、「評価の奴隷」になったら、おしまいだ。
この本を読んでいて、エンターテイナーではなく、芸術家としての生き方を学んでるようだった。
筆者である「田中泰延」さんの文章って、すごく洗練されてて、かっこいい!
話の展開の仕方とか、もはや芸術的だ。
「僕も、芸術家でありたい。」と、この本を読んで、再認識した。
このブログを続けていて、苦しく感じていたのは、自分が「評価の奴隷」に、なり始めていたからなのかもしれない。
第三章 : どう書くのか
思考の過程を披露する
順を追って考え、順を追って書き記していくことが自分自身の理解への道のりそのものであり、結果として人の気持ちを動かす文章となる。
その「思考の過程に相手が共感してくれるかどうか」が、長い文章を書く意味である。
うまく書けたもよく書けたもない。ただ「過不足がない」と自分で思えたとき、それは他人が読んでも理解できるものになるのだ。
この「過不足がない」というのは、僕もブログの記事を書いて、下書きを公開する時の基準にしている。
逆に、自分の中で、この記事は、過不足がないという状態に達しなければ、僕は、記事の公開ボタンを押すことが出来ない。
起承転結でいい
事象に出会ったとき、そのことについてしっかりと調べて、愛と敬意の心証をいだけたならば、過程も含め、自分に向けて書けばいい。
起 : 実際の経験だという前置き
承 : 具体的に何があったか
転 : その意味はなにか。テーゼ化
結 : 感想と提言。ちょっとだけ(中略)
ともかく重要なことは、「事象に触れて論理展開し心象を述べる」という随筆に、起承転結ほど効率よく使えるコード進行はないということだ。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
起承転結というのは、長い人類の歴史の中で、賢人が見つけた「脳の構造に沿った道理」なのかもしれない。
よし、巨人の肩に乗ろう。
第四章 : なぜ書くのか
書くことは世界を狭くすること。
しかし、恐れることはない。なぜなら、書くのはまず、自分のためだからだ。あなたが触れた事象はあなただけが知っている。あなたが抱いた心象は、あなただけが覚えている。
あなたは世界のどこかに、小さな穴を掘るように、小さな旗を立てるように、書けばいい。すると、だれかがいつか、そこを通る。
書くことは世界を狭くすることだ。しかし、その小さななにかが、あくまで結果として、あなたの世界を広くしてくれる。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
この章で書かれてるのは、「文章の可能性」。
どうやって、文章で飯を食っていく道が切り開かれていくのか。
そのための自分のスタンスについて書かれてる。
非常に参考になるし、その伝え方・表現の仕方が、いちいち芸術的で、かっこいい!
自分が書いた文章をブログやSNS上で公開したとしても、それは、小さな旗に過ぎない。
だれかがいつかそこを通るかもしれないし、通らないかもしれない。
書くことはたった一人のベンチャー企業
文章を書いて人に見せるたびに、「それは誰かの役に立つか?いままでになかったものか?」と考え抜けば、価値のある意見には、必ず値段がつく。
「どうして価値のある意見をタダで書いてるんですか。値段がつくんですよ!私が売ります。あなたが1割、会社が9割とりますけど」という人が現れ、わたしはいまこうして本を書いている。印税が、もうちょっと上がるとうれしい。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
印税の表現が面白くて、そっちの印象が、かなり強いが、… 笑
「それは誰かの役に立つのか?」
「いままでになかったものか?」
この2つは、自分に問い続けながら、これからブログなどで、文章を書いていきたい。
おわりに : いつ書くのか。どこで書くのか。
たくさんの人の読んでもらえ、Web上やSNSでバズり、内容が効率よく届き、とても面白く、わかりやすい文章を簡単に書く方法。
それは、短くいうと、こうだ。
そんな物はない。
出典 : 読みたいことを、書けばいい。
僕がこの本の中で、1番好きな箇所は、ここかもしれない。
漫画のワンシーンで、短く、シンプルに、爽快だ。
自分の心のわだかまりを、一撃で、吹っ飛ばしてくれた。笑
この本は、どんな人におすすめか。
文章で飯を食っていきたい人。
自分の生き方を文章で示していきたい人に、ピッタリだと思う。
どちらかと言うと、アフェリエイターやビジネスマン向けではなくて、「芸術家向けの本」。
芸術家として飯を食っていくための「心の持ちよう」、仕事になっていく流れをこの本から学ぶことが出来る。
小手先のテクニック本よりも、遥かに勉強になるし、実践的だ。
そして、僕のように、
読者のターゲットを明確に絞っているのに、一生懸命書いた記事が、全然読まれないブロガーにも、おすすめだ。
また、この本には、「広告の書き方、履歴書、エントリーシートの書き方」なども、詳しく書かれてるので、
・コピーライターとして成功したい人
・就職活動に苦労してる人
・エントリーシート (ES) の書き方に悩んでる人
にとっても、この本は、勉強になると思う。
最後に : 読みたいことを、書けばいい。
まずは、著者である『田中泰延』さんと編集者の『今井良介』さんへ、この本を出版して頂いたことに感謝したい。
この本「読みたいことを、書けばいい。」に書かれた数々の愛のある言葉に、僕は救われた。
自分の心が軽くなった。
これからブログで、自分を見失いそうになった時は、「読みたいことを、書けばいい。」と言い聞かせるつもりだ。
とにかく、勉強になる情報が盛り沢山で、これでもかなり厳選したのだが、なかなかの引用量になってしまった。笑
けれど、今回引用した部分は、本の中の結論部分であり、
その説明や論理展開は、この記事にはなく、全て本の中にある。
この記事をしっかり読んだとしても、理解できない部分や納得できない部分は、多いはずなので、
いずれにせよ、購入することが大切だ。(by 田中泰延)
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