スリランカ同時爆破テロが起きた時、僕は、スリランカにいた。




2019年の4月21日 (日曜日)、スリランカで最も発展した街「コロンボ」で、同時多発テロが起きた。

キリスト教教会や高級ホテルなど、約8ヶ所同時に爆破され、計258人が死亡し、約500名負傷した大事件である。

日本のYahoo!ニュースにも載ってたので、スリランカをよく知らない人でも、事件が起きたことを知ってる人は多いのではないだろうか。

まあ、多くの日本人にとってこの事件は無関係なのだが、

2019年の4月1日〜4月28日まで、スリランカを一人で周遊していた自分は、物理的にも、精神的にも、大きな影響を受けた。

その中で、自分は何を体験し、何を感じたのか。

これは、スリランカに詳しい日本人でも、あの時スリランカにいなかった人には決してわからないことだし、ある意味、貴重な体験だ。

その体験をここで、共有できたらいいなと思う。

2019年 4月21日 (日曜日)

その時、僕は、スリランカのどこにいた!?

爆発が起きたのは、上の地図の左側の青ピンコロンボ」という街の中。

そして、その時に、僕がいたのは、赤ピンの「ウダワラウェ」という田舎町。

物理的に、100km近く離れてる場所だ。

どうやって、事件を知ったのか。

因みに、「ウダワラウェ」というのは、ゾウで有名な場所で、国立公園のサファリやゾウの孤児院がある地域だ。

関連記事 : ウダワラウェ国立公園でのサファリは、ゾウと鳥の楽園だった。

国立公園でのサファリを終え、町の小さなローカルレストランで、昼飯を食べてる時だった。

*14時半過ぎの遅めのランチだった*

たまたまその飲食店で座った席の正面にテレビがあったので、それを見ていると、「爆破事件が起きて、混乱した街の様子」が報道されていた。

スリランカのテレビなので、シンハラ語がメインで報道されており、どの国のどの街の報道なのか、正直最初はよくわからなかった。

でも、しばらく見ていると、「それがコロンボの様子であること」を理解した。

血だらけの教会に、泣き叫ぶ被害者、混乱した街中。

正直、いきなり、あんな光景を見て、自分の頭はついていけなかった。

コロンボで一泊してから、スリランカの旅をスタートさせ、北寄りのアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディ、ヌワラエリヤ、南部のティッサなど、

時計回りにスリランカを一周してきて、すごく平和で安全だったのに…。

一体いきなり、何が起きたんだ。」と。

完全に自分の頭の中は、平和ボケしていたし、自分の身の回りでは、いつも通りなにも変わってない。

僕は、昼食を食べた後、15時からのゾウの孤児院へ行く用事があったため、実際に、テレビのニュースを見れたのは、5分ほどだった。

その日の予定が終わり宿に帰った後、スマホでYahoo!ニュースを見ると、スリランカのコロンボのテロについての記事が上がっていた。

そこで、キリスト教の教会と高級ホテルで爆破が起きたことを知り、その記事には、仏教の過激派が原因的なことが書かれてる。

でも、なんか違和感を感じた。

スリランカを3週間旅してきて、スリランカの仏教徒ほど、温和な人たちはいないと肌で痛感していたからだ。

で、僕が気になったのは、「4月21日が、イースターの日。」だったということ。

日本人は、あまりキリスト教の影響を受けてない文化なので、正直、あまり馴染みのない祝日だが、

僕は、オーストラリアにいた時に、イースターの日 (キリストの復活祭) の祝日を経験していたこともあり、どんな祝日なのかを知っていた。

爆破されたのは、「キリスト教の教会が、中心」。

さらに、今日は、「イースターの日」。

「ああ、そういうことか」と犯人がすぐに目星がついた。

でも、ニュースで、実行犯の存在がある程度正確に出たのは、その3日後とかだった。

2019年 4月22日 (次の日)

次の日、僕は、ウダワウェからシンハラージャ森林保護区を目指し、デニヤヤへバスで向かう計画をしていた。

宿の人も、スリランカでのテロは初めての経験なので、公共交通機関が動くのか、動かないのか当日にならないとわからないと言われたが、

テロが起きた次の日も、いつも通り、バスは動いていた。

4月22日〜24日は、スリランカの山の中にいたので、全然テロの影響も受けず、危険も感じないし、コロンボの状態も、全然良く分からなかった。

それは、4月24日〜4月27日まで、南部最大の町「ゴール (Galle)」にいた時にも、同じような感じだった。

観光客も普通にいるし、全然異様な雰囲気も、危険な気配もしない。

一応、銃を持った警備員はいたけれど、普通に観光を楽しめた

スリランカ政府が、SNSをブロック!

僕は、テロが起きた時から4日間ほど、田舎や山奥にいたので、そもそもネットを使えなくて、気がつかなかったのだが、

4月24日に、スリランカ南部最大の町「ゴール」についた時に、SNSが開けなくなったことに気が付いた。

現地の人から、スリランカ政府が、「デマが拡散されるのを防ぐため、SNSをブロックしてる。」という情報を聞いた。

ブロックされて開けなかったのは、

facebook (フェイスブック)」と「Instagram (インスタグラム)」、「YouTube (ユーチューブ)」など。

因みに、ツイッターは、ブロックされていなかった

理由は、スリランカ人は、ツイッターをほぼ使わないらしく、フェイスブックのユーザーが非常に多い国だから。

彼らは、インスタグラムもほぼ使わないが、インスタグラムは、フェイスブックの閣下だからという理由で、開けなくなった。

こうなると、スリランカにいたスリランカ人は、「テレビ or 人伝え」でしか、テロの情報について把握出来ない。

困るのは、スリランカにいた観光客だ。

テレビを見ても、シンハラ語で何言ってるか、さっぱり分からないし。

Yahoo!ニュースか、LINEニュースで、情報を得る形になる。

あとは、ツイッターで、コロンボにいる日本人のツイートを探すくらい。

でも、ネットやSNSで集めた情報と実際の状況には、すごく差があった。

2019年 4月27日 (土曜日)

変わり果てた「コロンボ」

僕の旅のルートは、コロンボをスタートして、そこから時計回りに一周し、またコロンボに戻り、そこから日本に帰るという流れ。

つまり、旅の最初と最後の日にコロンボで、一泊する計画だった。

そして、4月27日土曜日の午後。テロが起きて、6日後だ。

僕は、最終目的地のゴールを出発し、無事に、コロンボまで帰ってきた。

駅に到着し、駅の外に出て、宿までの行き方を考えていると、1人の男性に声をかけられた。

あんまりうろつくのも嫌だったので、その人のトュクトュクに乗ることに。

トュクトュクの中で、色々雑談していると、もう午後の14時近くだが、僕が今日初めて乗せるお客さんだと言う。

テロが起きて、観光客が皆帰ってしまったので、全然乗せるお客さんがいないと話していた。

旅の初日は、コロンボの街中の道路は、大渋滞だったのに、10分の1くらいしか車が走ってない。

10分, 15分くらいして、宿に到着し、部屋に案内されると、人気のユースホステルなのに、客はその時、僕しかおらず、宿内がしらけかえっていた。

誰の声も聞こえない。

4人部屋に、僕1人だけ。

異様な雰囲気

あの騒がしいコロンボは、一体どこへ言ったのだろう。

正直、コロンボに来るまでは、コロンボは大きな街なので、部分的にダウンしていて、街全体がダウンしてるわけじゃないと思っていた。

でも、現実は、テロが起きた6日後でも、街全体がひどくダウンしていて、全く別の街になっていた。

こんな気味の悪い部屋で、1日中いるのも嫌だったので、宿の近くにあったカフェを2,3ヶ所訪れることに。

すると、そのうちのカフェの1つで僕は、変な店員と出会うことになる

その変な店員が、なぜ今回のテロが起きたのかその原因を僕へ詳しく解説し始めたのだ

それは、僕がこの6日間で現地の人と話してきた話と、全然異なる見解だった。

ちょっとその話は、あまり公には言いづらい内容でもあるので、その時のエピソードは、noteにて、公開してます

関連記事 (note) : スリランカ同時多発テロ事件の『真相 (原因)』とは?

因みに、この店員が語った真相は、まだ、どのメディアにも、ブログにも書かれてないので、驚く人は多いかもしれない。

カフェを巡った後は、

宿の近くを歩いて帰りながら、お店の外見の写真を撮ると、警官に捕まり、

何を撮ってるんだ?パスポートを見せろ」とプチ尋問を受けた。

別に超普通の観光客のすることなのに、それすら怪しまれる始末。

こりゃぁ、コロンボが危ないか危ないかに限らず、今のスリランカに観光しに来ても、楽しめないわ。」と思った。

それに、飲食店も夕方で閉まるし、そもそもずっと閉めてるお店もある。

あと、現地の人たちと接していて強く感じたのは、

現地のスリランカ人は、テロ自体のことをあまり恐れてはいなかった。」ということ。

これは、意外に感じる人は多いかもしれない。

彼らは、爆破よりも、テロによって、観光客がいなくなり、お客さんが減ってしまうこと、仕事がなくなってしまうことを強く恐れていた

すごくいろんな言い訳をつけてチップをせがんできたし、彼らの焦りをすごく感じた。

特に、家族を持ってる人は、その焦りが強かった。

スリランカ人の70%は、仏教徒なので、彼らは、今回の事件は、自分たちが直接狙われた対象ではないと感覚的に気付いていたのだろう。

まあ、こんな状況で街の雰囲気も悪かったし、またどこかで爆破する可能性もあった。

そういう理由から、僕は、事件後、ツイッターで、「少なくとも、1,2ヵ月は、スリランカに来ない方が良い。」と呟いていた。

その日の夜の「悪夢」と「恐怖」

僕はよく、へんてこりんな夢は見るが、悪夢を見ることはない。

だが、悪夢で夜中に目を覚まし、大きな恐怖を感じた。

それは、これまでの人生で感じたことのない恐怖だった。

僕は、その街や人の周波数とか、かなり敏感に察知してしまうタイプなのだが、あの時のコロンボの夜の街の周波数は最悪だった。

アフリカの治安悪い地域にも足を運んだことはあるが、これまでに自分が感じたことのない悪魔の周波数を感じた。

ただこれは経験した人にしかわからない感覚なので、テロの被害を受けたすぐ後にその場所を訪れた経験とかがないと共感できないと思う。

そういう経験をしたことない人は、「そうなんだ。」くらいに受け止めてくれたら嬉しい。

あと、さっきから自分の感じたことばかり綴っていて申し訳ないが、

もう一つ僕が肌で感じたのは、

政府がわざと観光客を国の外へ追い出してるという印象だった。

観光客の立場として、政府の政策を経験しながら、なんかそういうものを感じた。

それは、観光客の安全確保のためと言えば、聞こえが良い。

だが、本当の理由は、おそらく政府による都合だったのだろう。

2019年 4月28日 (日曜日)

帰国当日は、空港へ直行!

2019年 4月28日 日曜日。

スリランカテロ事件のちょうど1週間後だ。

僕のフライトは、この日の夕方だったが、午前中には、空港へ向かった。

本当はコロンボで色々観光して、空港へ向かう計画だったのだが、全てキャンセルして空港に直行することにした。

とにかく、早くこの国から去りたかった。

この異様な地球の世紀末みたいな周波数から、逃れたかった。

それと、こういうことがあったので、空港のセキュリティーが厳しくなり、出国に時間がかかるとも聞いていたから

実際に、僕は空港に着くと、空港から200m手前までしか、車 (トュクトュク) で来れず、そこでパスポートチェックを受け、シャトルバスに乗り、降りると、またパスポートチェックと荷物検査があり、

結局、空港に入るまでに、パスポートチェックを3回受けた。

因みに、宿から空港に来るまでに、爆破された場所が2ヶ所ほどあったので、その爆破跡も、横目に見てきた。

近くだけクローズされてた場所もあったので、間近でじっくりと見たわけではないが、それでも、衝撃的な光景だった。

その時僕は、スリランカにいた (まとめ)

僕は、4月1日 (月曜日) に、初めてスリランカを訪れた。

その日にコロンボで一泊し、騒がしく、人が多い街を見ている。

コロンボで一泊した後、スリランカを一周してきて、戻ってきたコロンボは、テロの後で、ゴーストタウンのような街に変わっていた。

僕は、普段のコロンボも見ていたので、テロ1週間後のコロンボは、すごく異様に感じた。

これは、同じように感じた人もいるのではないだろうか。

因みに、僕は今回、「4月1日 (月曜日) 成田発、4月28日 (日曜日) コロンボ発。」という旅だったのだが、

僕が日本を出発する日 (4/1, 月曜)とスリランカを出る曜日 (日曜) は、事前に決めていたことで、もし僕が4週間ではなく、3週間の旅に決めていたら、あのテロの日に、僕はがっつり、コロンボにいた。

*スリランカ航空の出発便は、月・木・土・日。帰国便は、日・水・金・土。*

さらに、コロンボ最終日に僕は、シナモングランドホテルにある「ヌガガマ」というレストランに行こうと計画していたので、かなりヤバかった。

*シナモングランドホテルは、爆破テロを受けた場所の1つ*

テロを間接的に近い距離で経験して

僕は、テロが起きた時に、その爆破の被害を受ける範囲にはいなかったので、直接的に、テロを経験したわけではない。

ただ、スリランカにいて間接的に、テロを経験した

テロ後のコロンボにも、一泊していたし。

僕は、こういうテロとか、津波とか、火山の噴火とか、大規模な地震とか、

そういう天災は、それが起きた瞬間に、自分が物理的にどの位置にいたかで、全て決まるものだと思ってる。

そして、その物理的な距離によって、

遠すぎると、同じ国にいても、自分の現実には起きてない出来事になるし、近いと、自分の身に起きた出来事となる。

例えば、東日本大震災の時に、九州にいた人は、全くあの被害を受けていない。

なので、極端な話、

日本という国の括りで考えると、関係あるが、実際は、その時、九州にいて、知人や身近な人が被害に合わなかった人は、東日本大震災は、その人の身に起きたことではないのだ。

この世界で起きたことではあるけれど。

このことをスリランカのテロ事件に置き換えると、

スリランカに行ったことも興味のない人には、あの事件はその人の現実に起きてないことに等しい。

つまり、

多くの日本人にとって、あのスリランカ同時多発テロは、全く関係ないのだ。

だが、

自分は人生で初めてスリランカを訪れた旅の最中、スリランカ史上初めてのテロ事件の時に、僕はスリランカにいた。

直接的に肉体的な被害は受けなかったけど、あれは、自分の人生に起きた現実だった。

だから、僕の人生には、あのテロ事件が関係がある。

あのテロが起きて、僕は正直、ショックだった。

約1ヶ月間、スリランカを周遊してきて、たくさんの人に親切にされたし、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、ケニア、タンザニアなど、これまで何カ国か訪れてきたけど、あんなにおもてなしされた国は、スリランカが、初めてだ

*もちろん、全員良い人ではないので、注意は絶対必要だ。笑*

それに観光業で成り立ってる国であることも、旅を通して理解したし、この出来事がスリランカ国民へ大きな影響を及ぼすのかは、簡単に、想像がついた。

なんで、こんなに平和で、親切な人がたくさんいる国で、こんなことが起きてしまったんだろう。

と正直、ショックを受けた。

でもそれと同時に、

僕は、自分がスリランカに出来る恩返しをしたい、それをする義務が僕にはあると強く思った。

自分にとってのスリランカへの恩返しは、スリランカの魅力を日本へ発信すること。

だと。

帰国後、スリランカの記事をこのブログで、100記事近く書いてきたが、もし、あのテロを経験してなかったら、おそらくこんなにたくさん記事を書かなかったように思う。

今は、知名度もないし、あの事件でガクンと落ちてる状況だけど、これから今まで以上に、スリランカが、光り輝く島になることを信じている。

これからも、色んな形で、スリランカの魅力を発信していきたい。

かなり長文になってしまったけれど、最後まで読んで下さい、ありがとうございました。

関連記事 : スリランカ同時多発テロ事件の『真相 (原因)』とは?



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