僕は、2018年の9月、アフリカ、タンザニアにあるザンジバル島を訪れた。
2日間だけ、ザンジバル島北端にある“ ヌングイ ”という地域に滞在したのだが、その時に、自分が経験した「あるエピソード」について今回は話したい。
あなたなら、貧しくて困ってる人に、何を与えますか?
ヌングイでのエピソード
ヌングイのビーチを散歩していた時、僕は、ある現地の男性に、話しかけられた。
実は、ザンジバル島、しつこい客引きが、非常に多い観光地だ。
他にも色んな人に話しかけられたが、僕はヌングイでゆっくりしたかったので、商売がらみの話は、全部断っていた。
だが、この人は、そういう誘いではなかったし、歩く方角も、たまたま一緒だったので、歩きながら、少し雑談をした。
日本の話や、僕がザンジバル島で詐欺にあった話など、色々話した。
その会話の中で、ふと、
「自分は、2日間何も食べてない。」
「水しか飲んでない。」と。
「ザンジバルのこの時期は、観光客があまり多くなく、仕事がない。でも、政府は、何も自分たちを援助してくれない。」
「自分以外に、年下の兄弟や小ちゃい子がいて、全員分のご飯がなく、自分は食べなかった。」
彼はそう言った。
まあ雑談だったので、すぐに話の内容は変わったのだが、
僕は、彼がポロっと言い放った本音を忘れられず、別の内容の会話中も、自分の中では、「何かこの人に対して、自分にできることはないだろうか。」と考えていた。
普通に彼は良い奴だったし、人を騙したりするような奴ではなかった。だからこそ、自分の中にそういう感情が、芽生えたのだと思う。
ヌングイは、リゾート地なのだが、現地で暮らすザンジバルの人は、基本貧しい。
街を歩いていて、出会った小さな可愛い少女に、「ハロー。」と言われて、こちらも挨拶をすると、二言目に、「お金頂戴!」と平然と言われることもあった。
色々考えた末、
「お金を渡すのはよくないけれど、食べ物を少し買ってあげるのはどうだろうか!?」という考えを思い付いた。
僕は、ギリギリの予算で旅をしていたし、自分に必要なお金は、残しておかないといけない。
だから、「自分に支障ない範囲で、援助できればなぁ。」と。
それで、話をしながら、ビーチから宿へ戻る途中に、
「なんかこの辺に、食材店ある?」と、彼に聞いてみた。
すると、彼は、「あっちにあるよ。」
彼 : 「なんで?」
僕 : 「ちょっと買いたいものがあるんだ。一緒に来てくれる?」
ということで、
僕たちは、食材店に着いた。
そこには、米や野菜が何種類かあった。
食べ物を買ってあげるといっても、彼に必要ないものを買ってもしょうがない。
彼に、「少し食材買ってあげるから、どれが良い?」と聞いた。
すると、彼は、「どっちでもいいよ。」と言った。
とりあえず、値札がなかったので、適当な量と価格を聞くことにした。
それで、米の量を測ってもらい、その価格を教えてもらった。
「これなら払えるな。」と思って、僕がそれを買おうとしたら、
彼は、「うーん。」と言って、
「それじゃ家族全員に足りない。これとこれはどうだ。」と言ってきた。
「トマトに、玉ねぎに、ライスも、それじゃ少ない。この2倍以上は必要だ。」と。
僕が買おうとしたら、急に、「あれも、これも、欲しい。」と、
彼は、もっともっとを求め始めたんだ。
このやり取りをしていると、僕は、急に買う気が失せてしまった。
これじゃ、キリがない!
僕は、「やっぱりやめた。買わない。」
そう言って、その場を去ろうとした。
彼 : 「なんで?? さっき買ってくれると言ったじゃないか。」
僕 : 「さっきはそう言ったけど、もう気が変わった。」
僕 : 「じゃあね!」
そう言って、彼とはそこで別れ、僕は宿へと帰っていった。
なんで急に買うのをやめたのか?
たしかに、彼が、「もっと、もっと。」と欲しがったのも買うのをやめた理由の一つではある。
だが、1番は、彼に食べ物を与えたとしても、「本当に、彼のためにはならない。」と思ったから。
「お金じゃなくても、食べ物ならいいかもしれない。」
そう思って行動したんだけど、
結局、「食べ物もお金と一緒。」ということに気が付いた。
何が一緒なのか!?
それは、「与えても、すぐに無くなってしまうもの。」だということだ。
僕がもし、彼の家族の1日分の食材を買ってあげたとしよう。
でも、その食べ物は、1日。もしくは数日で消えていってしまう。
そしたら、また彼の生活は、振り出しに戻る。
それだと本当に、彼のためにはならない。
それに、彼は、僕が食べ物を与えてくれたことに味を占め、「お金のある人に、与えてもらおう。」と考え始めるだろう。
自分が何かを与えて、その対価として、お金をもらうことをせずに。
そうなると、彼が今後、人から奪うという行為に走ってしまう可能性は高い。
だから、僕はあの時に、やっぱり買うのをやめたんだ。
この理由は、彼に説明するような理由ではない。
だから、あのとき彼に、言葉で理由を伝えることはできなかった。
宿に帰った後、
やっぱり、その人と一緒に買うのではなくて、「自分が買ってきて、それを渡す。」というスタイルをとった方が、良かったかなぁとは、反省した。
だが、あのときに、本当に自分がどうすべきだったのか。
その答えなんてわからない。
ただ僕が、この経験を通してハッキリと感じたこと、学んだことは、
「与えて無くなるものを与えても、意味がない。」ということ。
お金や食べ物など。答えを与えても意味がない。
「与えるなら、与えても無くならないものを与えた方が良い。」
魚の釣り方とか、正攻法なビジネスのやり方、健康に生きるための術とか。
与えるなら、そういうのを与えた方が、良かったと、僕は改めて思った。
最後に
確かに、あのアフリカ人より、僕の方が、お金を持ってるかもしれない。
でも、それは、僕が日本で仕事をして誰かの役に立ち、その対価として、お金をもらったからだ。
何も与えずしてお金を得たわけじゃない。
これは、世界を旅してきて、たくさんのホームレスを見てきて、感じたことにもつながる。
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貧しい人って、自分が世の中に何を与えるかではなく、誰かに与えてもらうことばかり考えてる。
そういう人に、ものを与えても、すぐに消えて無くなり、その人は、また振り出しに戻る。
で、それをまた繰り返す羽目になるだろう。
僕は、ヌングイでのこの体験から、
「答えを与える人じゃなく、手段を与えられる人になりたい。」と思った。
僕に気づきを与えてくれた彼には、感謝してる。ありがとう!
メッセージには、言葉で伝えられるものもあるが、態度でしか伝えられないものもある。
彼がいつか、あの時の僕の態度を通して、僕の本当のメッセージを受け取ってくれることを願ってる。
あなたなら、貧しくて困ってる人に、何を与えますか?
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