先月、
劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』の公開日が、発表された。
サブタイトルは、
その刃(やいば)で、悪夢を断ち斬れ
僕は、漫画(7,8巻) で、既に無限列車編を読んでいたのだが、この映画ポスターのサブタイトル (その刃で、悪夢を断ち斬れ) を見た時に、あることに気が付いた。
あれ、もしかして、、、
この映画って、『マトリックス (1999年公開)』と本質的に同じ内容じゃない!? って。
そう、
キアヌリーブスが、イナバウワーみたいに、銃弾をかわす、あのアクション映画だ。笑
だが、みんなが思い浮かべるこのシーンは、
あくまでも、ワンシーンであって、
というのが、
映画の「本質的なストーリー」である。
一見、全然関連性のない気がするが、
僕はなぜ、サブタイトルを見て、このアクション映画を思い出したかと言うと、
今回の映画『鬼滅の刃 無限列車編』に登場する眠り鬼・魘夢(えんむ)の見せる「悪夢」が、
*眠り鬼・魘夢(えんむ)*
もはや「マトリックス (仮想現実)」なのだ。
魘夢は、巧みな血気術 (トリック) を使って、人間を悪夢の中 (仮想現実) へと誘う。
つまり、この「悪夢」は、『魘夢による洗脳』そのものだ。
因みに、「悪夢」といっても、最初は、幸せな夢を見させ、その後で、辛い夢を見させる。
(だからこそ、目覚めにくい。)
では、ここで、
「この世」に置き換えて、考えてみよう。
すると、
眠り鬼・魘夢(えんむ)の役割は、エゴ (自我) に、そっくりなのだ。
なぜなら、エゴ (=自我) も、巧みなトリック (血気術) を使い、仮想現実 (悪夢の中) へと誘うから。
そう捉えてみると、サブタイトルである
「悪夢を断ち斬れ」は、
「エゴによる洗脳を見破れ。」
とも、言い換えられないだろうか。
映画を実際に観てきた感想は、「こちら」。
鬼滅の刃 無限列車編
主人公の炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助。
4人は、『無限列車』の中へ乗り込む。
*厳密に言うと、禰豆子(ねずこ)は、「鬼」ではあるが。*
*以後、漫画の中のセリフは、吹き出しにて、引用させて頂きます。*
伊之助のセリフの中で、「腹の中」というフレーズが、繰り返される。
僕は、この言葉が最初に、引っ掛かった。
これって、僕たちの生きている『この世』を表していないだろうか。
そうすると、
「戦いの始まり」というのは、『この世に誕生し、人生が始まること』を意味する。
しばらくすると、列車の中にいる車掌さんが、切符を確認して切り込みを入れてくれる。
パチン、パチン、拝見しました。
すると、いつの間にか、
主人公の炭治郎(たんじろう)、善逸(ぜんいつ)、伊之助(いのすけ)、炎柱の煉獄(れんごく)は、それぞれ深い夢の中へ。
*禰豆子は、箱の中で既に寝てる。笑*
夢を見ながら、死ねるなんて、幸せだよね。
「夢を見ながら、死ねる」とは、
『この現実が、夢だということに気がつかないまま、自分の人生を終える』
ということ。
第1章. 無限“夢”列車
それぞれの夢の中の描写が、始まる。
みんな「列車にいること (本当の現実世界)」なんて、すっかり忘れてしまい、夢の中へと、どっぷり浸かっていく。
「生きる屍」とは、『生きているけど、死んでるような人になる』ということだ。
つまり、
精神の核を破壊された人 (廃人) というのは、『感受性を失った人』と言える。
ワクワクするとか、悲しいとか、喜び、驚きをしっかりと味わうこと (感受性を取り戻すこと) で、人はより、今を生きることができる。
人間は、「夢 (思考の世界)」に、どっぷり浸かってしまうと、
息 (呼吸してること) も忘れるし、鬼の術 (自我に洗脳されてること) にも気が付かないし、腹の中 (ありのままの世界) にいることも忘れてしまう。
第2章. 目覚めろ
夢の中に、どっぷり浸かるみんなだが、
主人公の炭治郎は、ちょこちょこ、夢に違和感を覚え始める。
*この部分は、映画「マトリックス」の主人公ネオ(アンダーソン)が、夢と現実の境目が、つかなくなるシーンと少し似てません?*
まず、『①道具箱』が、現れる。
しかしこの時、炭治郎は、何なのかを思い出せない。
*大切な妹である禰豆子(ねずこ)を太陽光から守る箱なのに。。。*
そして、炭治郎は、川へ水を汲みに行くと、
『②水面に映った炭治郎の姿』が、現れる。
炭治郎は、ここで初めて、自分が列車の中にいたことを思い出す。
目覚めへ大きく前進したものの、
まだ彼は夢の中。
だが、「目覚めよう!」と、強い意志を持ったことが影響したのか、禰豆子(ねずこ)は、箱の外へ出て、列車の中の現状に気が付き、炭治郎を助けようとする。
第3章. 刃を持て
炭治郎は、少しずつ、目を覚まし始める。
覚醒し始める。
いよいよ、自分が夢の中にいることに気が付き始めるが、
夢の中の登場人物 (炭治郎の家族) が、
泣きながら、感情のこもった言葉で、必死に呼び止め、夢から目覚めようとする炭治郎を引き戻そうとする。
使命を思い出した炭治郎は、
泣く泣く、家族を振り切り、必死で夢の中を駆け回り、鬼を探し出そうとする。
しかし、全然、鬼は見つからない。
すると、『③炭治郎の背後から、父の言葉』が、投げかけられる。
この父の言葉が意味してるのは、
「気付き」である。
思考の中で、グルグルしていた (鬼を夢の中で探していた) 炭治郎に対して、
『等覚一転名字妙覚 (とうかくいってん・みょうじ・みょうかく)』。
つまり、「目覚めは、延長線上ではなく、足下にある。」のだと、
父は、語っているのだ。
実は、僕たちも、他人を鏡として、
友達や家族の姿を借りて、自分に警告することがある。
もし違っていたら? 夢の中の出来事が、現実にも影響する場合。
取り返しが・・・・・
これって、僕たちと同じではないだろうか。
「マインドの死が、自分の死に影響すると思ってしまうところ」。
それも、自我の巧みなトリックである。笑
そこで初めて、炭治郎に、
「気付き(アウェイクニング)」が起きる。
*それまでは、夢に違和感を覚えていただけで、「気付き」は起きてなかった。*
炭治郎は、実際に夢 (仮想現実) の中で、自分の首を切ったが、
これを僕たちの現実世界に当てはめて考えると、思考の世界 (仮想現実) には、自分の首はない。
つまり、ここで重要なのは、
刀で自分の首を切ることではなくて、夢の中の自分(マインド)の消失により、今 (ありのままの世界) に繋がることができるということ。
「目覚め」とは、
答え探しではなくて、『気付き』である。
第4章. おはよう
遂に、炭治郎、目覚めます!
これって、僕たちの現実も同じだ。
「エゴによる洗脳 (悪夢) の危険性」について、僕たちは、説明を受けただろうか。
説明を受けてないからこそ、みんな気が付かないうちに、思考の世界 (悪夢) へどっぷり浸かってしまうのだ。
*自我=エゴ*
僕たちも一緒で、
思考の世界 (夢) だと気が付くまで、そこは現実なのだ。
目覚めの経緯 (いきさつ)
では、ここで、
映画『鬼滅の刃 無限列車編』のストーリーの表現や登場人物が、具体的に、何を「象徴」しているのか、一度まとめてみたい。
・魘夢 (えんむ)=「エゴの監督」
・車掌さんが切符を切る=「エゴの芽生え」
・魘夢の血気術=「エゴの巧みなトリック」
・悪夢=「思考がつくり出した世界」
・精神の核が破壊される=「感受性を失う」
・刃 (やいば)=「気付き」
・鬼滅隊=「エゴを滅する修行者」
・魘夢の頚 (くび)=「煩悩」
・無限列車=「輪廻」
*エゴ=自我*
3つの“ Wake Up Call ”
ここまで、炭治郎が、目覚める過程を追ってきたが、
その目覚める過程において、『3つのサイン』があったと思う。
- 禰豆子(ねずこ)の『道具箱』
- 水面に映った炭治郎の姿 (鏡)
- 背後に現れた『父の言葉』
この3つが、炭治郎にとって、
大きな「Wake Up Call (アラーム)」となった。
目覚めとは、因果を超えたハプニング。
炭治郎は、最初、
自分が本当は列車にいることを思い出した時、
夢から覚めるために、
鬼を見つけ出そうとした。
それは、言い換えると、
「目覚めるための原因」を探していた。
と言える。
だがそれでは、目覚めることが出来なかった。
そこで、現れたのが、『父の言葉』だ。
*炭治郎の父*
父の言葉の真意に気がついた炭治郎は、
「気付き」によって、目を覚ます。
僕たちは、よく大人から、
この世界は、『原因と結果(因果)の法則』で成り立っている。
と、言われる。
しかし、それは、「自我(エゴ)の世界において」である。
本当の自分がいる世界は、ああしたからこうなるというような因果の法則で成り立っていない。
「目覚め」というのは、因果法則の世界の外に、ポンっと出る感じ。
*別の言葉で言い換えると、夢の中 (思考の世界) に、どっぷりと浸かっていた意識が、“ゼロポイント”に戻る感じ。*
つまり、
目覚めとは、『因果を超えたハプニング』だ。
ああするためにこうするというような『因果』に囚われていたら、永遠に目覚めることは出来ない。
だから、多くの人は、
その自我のトリック (魘夢の血気術) に見事に引っ掛かり、 輪廻 (無限列車) を止められず、グルグルとグルグルと、自我の世界を、ずっと廻り続けているのだ。
無限列車は、「輪廻」を表す。
最初の方で、車掌さんに切符を切られた時、
みんなが、眠りに落ちたシーンがあった。
僕は、これは「自我の芽生え」を象徴していると思う。
*エゴ=自我*
自我が芽生えたことで、いつの間にか、今 (列車にいる自分) を生きるのではなく、思考の世界 (えんむの見せる夢の中) を生き始める。
そして、魘夢 (自我) は、“ 精神の核 ”を破壊しようとする。
これが壊れると、廃人になるのだが、
それは、言い換えると、
「感受性を失ってしまう」ということ。
廃人になれば、より夢から覚めることが出来なくなるように、
人間も、感受性を失ってしまうと、自我(エゴ)の世界から脱出しにくくなる。
だから、
今を生きるためには、『感受性を取り戻すこと』が、大事なのだ。
*ワクワクするとか、悲しいとか、喜び、驚きをしっかり感じてる人は、廃人にならない。*
たまに、東京の電車に乗っていると、
“ 精神の核 ”を破壊されてしまったような方 (廃人) を見かけるが、
彼らは、感受性を失った人、
もしくは、感受性に凄く“ 鈍感 ”になってる人と言えるだろう。
*眠り鬼・魘夢(えんむ)*
魘夢 (えんむ) の使う「血気術 (罠)」とは、
人間に気付かれないように、ありもしない世界 (仮想現実) へと誘い、それが本当の世界だと思わせる巧みなトリックだ。
しかし、炭治郎のように、
それが現実ではないと、気が付けば、
夢から覚めることが出来る。
この夢から覚めた状態を「アウェイクニング (Awakening)」と呼ぼう。
*僕は、この段階をアルコールが抜けた状態。酔っ払いから覚めた段階だと表現する。*
だが、
この目覚めは、ゴールではない。
なぜなら、魘夢の頚 (煩悩) を斬って、魘夢 (エゴ) を完全に消滅させない限り、また夢を見せられてしまうからだ。
*それと同じように、僕たちも、アウェイクニングしたからと言って、ゴールではない。むしろ、新しい時代の始まりである。目覚めには、いくつか段階がある。*
炭次郎は、夢から覚めた後も、何度も血気術にかかりながら、その度に目覚めて、魘夢の頚 (煩悩) を斬って、魘夢 (エゴ) を完全に滅するよう務める。
つまり、炭治郎は、夢から覚めた後も、魘夢 (エゴの術) にかかっているのだ。
ただ、夢を見させられても、その夢から覚めるスピードが、速いだけ。
「煩悩」を滅すると、
僕たちは、『輪廻』の世界から脱するように、
「魘夢の頚」を斬れれば、
魘夢の術は消え、『無限列車』も止まる。
*因みに、煩悩 (ぼんのう) を滅した状態を「解脱 (げだつ)」と言い、解脱すると、『輪廻』は断ち切られる。つまり、『輪廻 (無限に回転する車輪)』は、止まる (『無限列車』は、止まる)。*
その刃で、悪夢を断ち斬れ
*刃 (やいば)*
映画は、「僕たち自身の本能の警告」。
先程も書いたが、
「目覚め」とは、
『因果の超えたハプニング』である。
つまり、僕たちは、
意識が、思考の世界にいる時に、それを頭で考えて気付くことが、非常に難しい。
そこで、僕たちの集合意識は、
どうするかと言うと、
『アラーム (Wake Up Call)』を使うのだ。
具体的には、「外側からサインを送る」という感じ。
例えば、今回のコロナウイルスの件なんかも、そのうちの1つだ。
それ以外にも、あらゆる手段で、メッセージは、頻繁に送られているのだが、
僕たちはよく『映画』を通して、自分たちに、サインを送る。
『無限列車編』のセリフを引用するならば、
*禰豆子(ねずこ)*
『映画』とは、
「僕たち自身の本能の警告」だ。
もちろん、全ての映画がそうではないのだが、
・『マトリックス (1999)』
・『君の名は。(2016)』
・『グレイテストショーマン (2017)』
など、その代表的な作品である。
因みに、「警告」といっても、決して重たいものではない。
『映画』というのは、直接的ではなく、
象徴を使い、暗示するものだ。
もちろん、映画をしっかり味わって、楽しむことが、とても大切だが、
ただ見ているだけでは、どうしても、本質的な部分をスルーしてしまいがちである。
映画の内容を“ 僕たちの現実世界 ”に置き換えて考えてみたり、
本質的(スピリチュアル的)に、何を象徴しているのか、念頭に置きながら、見てみたりすると、また違った発見があるはずだ。
さあ、君も、
映画『鬼滅の刃 無限列車編』を見て、
*鬼滅隊 炎柱の煉獄 (れんごく)*
その刃で、悪夢を断ち斬れ!
(気付きで、アウェイクニングせよ!)
2020年10月16日 (金) 公開
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