映画公開の約半年前に、「映画『鬼滅の刃 無限列車編』を見て、君も悪夢 (エゴの洗脳) から目覚めよ!」という記事を出したが、
公開(2020年10月16日)から、約2週間が経ち、ようやく、映画館に足を運べたので、『実際に映画を観てみて、どう感じたのか』、正直な感想を記していきたいなと思う。
*以下、少しネタバレあり*
映画『鬼滅の刃 無限列車編』を観て、率直に感じたこと。
まず最初に、最後まで見終えた感想としては、
とにかく、
映像が、凄かった!!!
特に、鬼殺隊・炎柱の『煉獄(れんごく)』と、十二鬼月・“上弦の参”である『猗窩座(あかざ)』の戦闘シーンは、素晴らしく、
中でも、個人的なお気に入りは、
『猗窩座(あかざ)』の「術式展開 破壊殺・羅針」の映像。
あの地面に刻まれる模様は、迫力だけでなく、美しさすらも感じた。
因みに、僕は、IMAXではなく、通常のシアターで観たのだが、
それでも、今まで見た映画の中で、間違いなく、1番凄い映像だったし、また全体を通し、色づかいや登場人物の声、どれをとっても、違和感を感じる箇所は1つもなく、
漫画のシーンを立体的に補う部分も、随所にあって、映画作成に関して、非常に丁寧な印象を受けた。
素人の自分から見ても、
チーム「ufotable (ユーフォーテーブル)」は、相当優秀だなぁと思う。
あと、これは、鬼滅の刃の映画だけでなく、アニメ(第1話〜26話)にも言えることだが、
今更ながら、鬼滅の刃は、とても日本の良き『個性』が表現された漫画(アニメ)だ。
景色の描写や、列車(機関車)の外観、街並み、登場人物のキャラ、あらゆる所に、日本特有の個性が詰まっているし、江戸や大正時代をモデルにした風情ある街並みなどなど、ナルトやワンピースにもない魅力を、鬼滅は持っている。
そして、漫画ナルトのように、『古事記』の内容を組み込んでいるようにも思う。
鬼滅隊の「柱」というのは、神様を数える単位だし、死後の世界を「黄泉の国」と表現しているし、キャラクターのモデルなど、様々な部分で、その影響を感じる。
*映画『無限列車編』は、漫画の7,8巻で描かれている*
また、僕は、映画を見る前に、
漫画で、このエピソードを読んでいたので、
「出だしのシーンは、どうするのだろうか?」と思いながら、最初の始まりのシーンを非常に注目していたのだが、
『お館様が亡くなった鬼殺隊の名前をお墓で歩きながら読み上げるシーン』から始まったのには、正直、「おお、そう来たか!」と思った。
最初の段階では、もちろん、あのシーンを最初に持ってきた意味を、理解出来なかったが、
映画全体を見終えた時に、
あそこのシーンを1番最初で見せるによって、この映画は、「死」が1つのテーマであることを、視聴者に暗示させる効果があったのではないだろうか。と感じた。
それから、そのシーンは、映画の最後のシーンへの布石でもあり、この映画で『鬼滅の刃』という物語は終わらず、これからも話が続いて行くことのアニメ制作側の意思表示にも感じた。
まだ公式には発表されていないが、アニメの続編は、水面下では進んでいる気がする。
来年のどこかで、それについての何かしらの発表があるのではないだろうか。
そして、個人的には、2021年後半から2023年いっぱいにかけて、全話アニメ化されるような気がしている。
流れを読んだだけでなく、希望も込めて。笑
また、
これは、映画『無限列車編』の内容についての感想ではないのだが、
今回、今まで見ていたパソコンの小さな画面ではなく、映画館の大きなスクリーンで見たせいか、「炭治郎のお母さんの唇の左下には、ホクロがある」ことを、初めて気が付いた…。
それで、その瞬間思ったのは、
もしかしたら、作者である吾峠呼世晴さんは、自分の母親や身近な人をモデルにして、ホクロを描いたのかもしれないと…。
それほど、リアルな大きさで、リアルな位置に描かれているんだよなぁ。笑
『目覚め』のテーマは、わかりにくかったかもしれない。
僕は、この映画の公開前に、
映画『鬼滅の刃 無限列車編』は、「人類の目覚めへのウェイクアップコール」だという記事を書いていたが、
実際に映画観てみて感じたのは、
「これは、1回見ただけじゃ、絶対みんな気が付かないだろうな…」ということ。
というのも、
後半の戦闘シーンのインパクトが大き過ぎて、そっちに意識がいってしまうからだ。
中でも、猗窩座(あかざ)と闘うシーンで、煉獄さんが言い放った、
老いることも、死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく 愛おしく 尊いのだ
強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない
by 煉獄さん
というシーンは、
僕が客観的に、この映画を見てみて、
最も印象的な部分だった。
でも、この映画『鬼滅の刃 無限列車編』が、
「目覚め (アウェイクニング)」についての映画でもあることが、身を潜めてしまうのは、映画『マトリックス』の時と一緒かもしれない。
映画『マトリックス』も、ネオが、銃弾を無力にするシーンなど、とても印象的なアクション (戦闘) シーンに気を取られ、映画を観ても、映画の本質に気付きにくかった。
そこが、映画『マトリックス』を観て、多くの人が、ただのSFアクション映画だと捉えたように、今回の映画『鬼滅の刃 無限列車編』も、そう捉えた人は多かったかもしれない。
まあ、少なくとも、
『映画 (劇場版)』における主役は、
炎柱・煉獄杏寿郎の語る「人間という生き物は、老いること、死ぬことが美しく、その儚さこそが、素晴らしい」のだというメッセージ。
そして、杏寿郎の母が、生前、息子に対して、語った言葉の2つだったように感じた。
もし、この『無限列車編』が、人類の目覚めへの「曼陀羅 (目覚めへと導く媒体)」でもあることを知りたい場合は、
漫画で、このエピソードを何度も読むか、
*映画『無限列車編』は、漫画の7,8巻で描かれている*
映画で、「始まりから魘夢(えんむ)が死ぬシーンまで」を何回も何回も見返すと良いと思う。
それか、僕が書いたこの記事「映画『鬼滅の刃 無限列車編』を見て、君も悪夢 (エゴの洗脳) から目覚めよ!」を何度も読むか。笑
おまけ
僕自身、
今回、約2年振りに映画館に足を運んだのだが、まず、映画館の人の多さに驚いた。笑
しかも、ちょうど僕が映画館に着いたタイミングは、鬼滅の刃の1つの上映が終わった直後だったようで、大群の人が流れ出てきたのだ。
僕はてっきりコロナの影響で、そんなに映画館に人は多くはないだろうと思っていたけれど、予想以上だった。
むしろ、コロナ前よりも、人多い気が…。笑
恐るべし、鬼滅の刃!!!
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