大学一年の春休みに、オーストラリアを1人旅して以来、
ニュージーランドを一周したり、アメリカ48州をジグザグに縦横断したり、ここ4年間で、海外の街を約160ヶ所近く、訪れてきた。
そして、その旅の中で、世界中の「ホームレス」を目にする機会も多かった。
今日は、実際に僕が、いくつかの国の「ホームレス」を観察していて、彼らから学んだ『地球の法則』について話したいと思う。
学校で教わった「ホームレス」
みんなも小さい頃、学校や周りの人から、「ホームレスは、… だよ。」と聞かされ、ホームレスに対して、こういう認識を持っていたりしないだろうか?
・家もなく、貧しい環境で生きていて、恵まれてない人。
・その人の生まれた環境が貧しかったり、仕事で大きな失敗をしたから、ホームレスとして、仕方なく生きているとか…
もちろん、生まれた環境や時代によって、ホームレスへの認識は、人それぞれだと思うが、僕は、子供の頃に大人から、そういう風に言われ、そういう認識を持っていた。
だが、実際に世界中を旅しながら、自分の目で、ホームレスの生きる姿勢を見ていて、全く違った感想を抱くようになった。
世界中で出会った「ホームレス」
アメリカのボストン、ポートランド、バリ島のクタなど、色んな都市で、色んなホームレスや物乞いを見てきたのだが、
多くのホームレスは、「お金を恵んで下さい」と、ただ道に座って、箱を置いてるだけ。
もしくは、少し小銭の入った缶や箱をジャラジャラと音を立てて、「お金を頂戴!」みたいな感じ。
あとは、芸とも言えない適当すぎる芸をした後に、「お金をくれ」アピールをしてきたり。
決して、ホームレスが皆そうではないのだが、実際、そういうホームレスは、凄く多かった。
僕が素直に抱いた「感想」
こういうホームレスの行動を何度も見てきて、
僕は率直に、
「彼らは自分のことを特別で偉い人だと思ってるのかな?」と感じてしまった。
なぜなら、自分が世界に何も与えずして、お金をもらおうとしてるから。
小さい子供は、親が養う義務があると思う。
だが、大人と言える年齢を超えた人は、社会に対して、何かしら役に立つことを与えて、それと引き換えに、お金をもらい生活してる。
*それを始める年齢は、人それぞれだけど*
みんな自分たちの生きる社会の中で、何かしらのメリットを与えることで、その対価として、お金をもらってる。
でも、多くのホームレスは、「ただお金をくれ」とせがむだけ。
ホームレスを続けてる人って、ならざるおえなくてなってるというよりも、なりたくてなってるようにしか見えなかった。
僕は、子供の頃、周りの人や学校から、「ホームレスは、貧しいから可哀想」だと教わったが、
自分が相手に何も役に立つことを与えないのに、相手から何かもらおうとしてるだけなのだから「ホームレスが貧しいのは、当然の結果」だと思った。
それに、与えずして、もらおうとするのは、「奪う」ことと同じである。
ホームレスから学んだ『地球の法則』
そして、そこから自分が学んだ教訓は、
『まずは、自分から世界へ与えていくことが大事』だということ。
まず、もらうではなくて、まず、与えること。
与えることが、先。
与えずして、何かをもらうことは出来ない。
それが『地球の法則』だ。
多くのホームレスは、社会に対して、
何も与えてない・貢献してないから、何も返ってきてない・何も得てないだけ。
自分は、そういう人になりたくないと思った。
「ホームレスになりたくない」というよりも、『自分が何も与えてないのに、何かをもらおうとする人』に、僕は、なりたくない。
最後に
ホームレスとして生きるのもありだと思うし、それは、その人の自由だ。
アメリカのポートランドで見かけた多くのホームレスは、
「ホームレスを楽しんでるホームレス」って感じだったし、ホームレス同士で、トランプゲームも楽しんでた。笑
それはそれで良いと思う。
ただ、自分は、
「もし何かを得たいなら、まず自分が先に、社会や世界へ対し、何かを与えなきゃダメ」だということをホームレスから学んだ。
多くのホームレスは、誰かに、与えてもらうことばかり考えてる。
自分から何も与えずして、何かをもらおうとするのは、「奪う」ということだし、正直フェアじゃない。
仕事や誰かの役に立つことをしてないのに、お金がないのは、当然の結果ではないだろうか!?
学校で学んだことは正しいのか!?
20歳までに、学校や身の回りから教わったホームレスについてと、自分が20歳になって、世界を旅して、自分の目で見てきた実際のホームレスは違ってた。
学校で学んだことは、真実ではない。
真実は、教わるものじゃなく、自分で確かめるものだ。
おまけ
実は、この記事で、ここまで書いてきたことは、
僕が20か21才の頃に書いた携帯のメモを元に、再現したものなので、正確に言うと、その頃の自分が、素直に感じていた感想である。
数年経った今、振り返ってみると、
あの時のホームレスたちは、その時の自分を反映 (リフレクション) していたようにも思える。
世界に役立つことをよく与えていなかった自分が、ホームレスの行動に映し出され、僕は自分を知り、そこから学んだのかもしれない。
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