なんか、生きていると、
ふと、「断捨離 (だんしゃり)」したくなる時は、ないだろうか。
今の自分に不要なものと、別れたくなるのだ。
出家してる人は、物をほぼ持たないので、断捨離の頻度は、ものすごく少ないだろう。
だが、普通の暮らし (俗世) をしている人は、
部屋、家具、パソコン、食器、カーペット、タオルなど、いくつかの物を所有しながら、生活しているはずだ。
もしあなたが、自然と、断捨離したくなったなら、それは、精神的に成長したからである。
目次
「断捨離」とは、精神の脱皮である。
まずは、
本来の語源を遡ってみよう。
現在、「断捨離」と聞くと、
「片付けをして、不要なものを捨てる。」という意味で、主に使われてる。
しかし、本来の意味は、
インドのヨガの思想から生まれた
- 『断行 (だん・ぎょう)』・・・入ってくる不要なものを断つ。
- 『捨行 (しゃ・ぎょう)』・・・不要なものを捨てる。
- 『離行 (り・ぎょう)』・・・離れていくものに執着しない。
という、『断行・捨行・離行』の頭文字を取った造語であり、
本来、この3つの『行 (ぎょう)』で、
「断捨離」を意味する。
*行 (ぎょう) とは、実践のこと。*
そして、3つの実践において、中心に位置するのは、『捨行 (しゃぎょう)』なので、
現在、「断捨離」というのは、
「片付けをして、不要なものを捨てる。」という意味で、主に認識されているのだ。
全ての物質には、固有の振動数がある。
この世の物質は、固有の振動数がないと、その物の姿をキープ出来ない。
一見動いてないように見えるものでも、微弱に振動している。
因みに、人間の平均振動数は、
大体、76,000〜80,000回/秒くらいで、仏陀やイエスが肉体を持っていた時の周波数は、200,000回/秒以上だと言われている。
このように、人間の周波数 (振動数) というのは、かなり変動し得る。
ただし、人間が肉体として存在し得る「MAXの振動数(閾値)」は、333,000回/秒だそうだ。
もし、その閾値を越えると、人間は、物質として、存在出来なくなる。
*人間の具体的な振動数については、この本を参照しました。宇宙存在との対談本で、物理学が好きな人には、特にオススメな一冊です。*
ここで、僕が伝えたかったのは、
固有振動数でも、ずっと固定されたわけじゃなく、ある程度の幅があるということ。
僕は、物理学者じゃないので、科学的には説明できないが、
おそらく、人間だけでなく、机やソファー、カーペットなどの物質も、
ずっと周波数が、80回/秒とかではなくて、80〜120/秒という感じで、振動数に、多少ゆとりがあるように思う。
断捨離したくなるは、あなたの振動数が、上昇したから。
みんな、
洋服、家具、食器などの物を買う時は、その時に、心地よく感じたものを買うはずだ。
だが、それが数年経ったりすると、
自然と、心地よく感じなくなることがある。
それは、あなたが、かつてのあなたと、大きく変化したからだ。
簡単に言うと、
振動数とは、その物体のリズムだ。
自分のリズムと自分の所有している物体のリズムが合わなくなると、その所有物は、不調和を起こし、自分にとって、不要なものになる。
時には、物が自ら壊れて、使用不可になることもあれば、
その物質にまだ、機能性があったとしても、なぜかそれを手放したくなる時もあるだろう。
自分の周波数が大きく変化すると、所有物も同じ場所を共有出来なくなるのだ。
つまり、
「断捨離」というのは、精神の脱皮のようなものなのだ。
旧く (ふるく) なったものを拭い去ることで、肉体的にも、精神的にも、より身軽になれる。
因みに、
自分が既に所有していたものを手放したくなるのは、自分の振動数が上昇したからだ。
もし自分の振動数が大幅に、下降した場合は、
あなたが、物を捨て去るのではなくて、
物が、あなたを捨て去るだろう。
タイミングは「感覚」に頼れ。
ああするために、こうする。
というように、何かと理由をつけて行動しがちな人は、
断捨離のタイミングが、分からない。
なぜなら、そのタイミングというのは、
「感覚」でしか、気付けないから。
その感覚とは、五感であり、直感でもある。
因みに、ナチュラルに、断捨離を出来ちゃう人、やれちゃう人は、女性に多い。
「断捨離」というのは、
女性の方が、上手い傾向にある。
片付けの専門家みたいな人も、男性よりも、女性の方が多いイメージはないだろうか!?
その理由は、女性には、感覚的に生きてる人が多いからである。
感覚に敏感に生きていれば、自然と不要なもの手放す時がわかる。
なぜなら自然とそうしたくなるから。
それは、お腹減ったから、ご飯を食べるくらいことと同じように、自然なことである。
でも、もし直感的にわからなかった場合は、
自分の所有しているものが、重たく感じた時が、それを手放す時だ。
直感で気づけなければ、身体が教えてくれる。
また、そのほかの方法としては、
不要なものに対して、アレルギー反応が出る人もいるだろう。
その具体的な反応は、人それぞれだが、
僕の場合は、自分と物の周波数が合わなくなった時に、
くしゃみが止まらなくなったり、目が痒くなったり、気分が悪くなったりする。
例えば、ソファーが合わなくなったとしたら、そのソファーに乗ってる時や座ってる時、寝転がってる時などに、身体が疲れたり、くしゃみが止まらなくなったり。
くしゃみが出るのは、埃(ほこり)が原因の時もあるが、
物が自分と合わなくなった時は、埃を掃除しても、その反応が消えない。
だから、物なのか、埃なのか、どちらが原因かわからない時は、
まず掃除して、その後で、判断するのも良い。
自分に必要ないものは、手放そう。
「断捨離」は、物だけではなく、人間関係についても言える。
自分が成長すれば、普段付き合う人たちも自然と変わってくる。
もし、普段共有する時間の多い人が、ずっと変わっていない人というのは、
別に友達を大切にしてるのではなくて、あなたが、成長してない証である。
たとえ、キープしようと努めても、
成長した人は、自然と、あなたから離れていくだろう。
もし数年経っても、古き友と、まだしっかり繋がりがあるのなら、その人も、あなたと同じように、成長しているのだ。
*厳密に言うと、同じ人物でも、別バージョンのその人である。*
同性の友達だけじゃなく、男女関係もそうだ。
別れとは、成長である。
多くの人は、別れをネガティブに捉えているが、
別れこそ、祝福すべきものだ。
それはなぜなら、
別れも、「精神の脱皮」だからである。
そして、脱皮というのは、あくまでも結果であり、過程ではない。
決して、「断捨離」が成長だから、別れれば、成長した訳ではない。
つまり、
自然と、物や人間関係の断捨離がしたくなって、そうしたのであれば、
それが、あなたの成長した証である。
引っ越しは「断捨離」とは限らない。
但し、引っ越しは、精神が成長したから、行われるとは限らない。
自分の周波数が変わったから、引っ越ししたくなる場合と、学生から就職のタイミングや、会社での異動により、行われる場合もある。
つまり、ステージが上がった場合と少し下がった場合がある。
僕個人から見た観察によると、
引っ越しが、自分の振動数の上昇であることは、下降である場合と、
フィフティー・フィフティーかな。
でも、なんか引っ越ししたくなったとか、明確な理由がなくて、今までと違う環境を求めた場合の引っ越しは、
断捨離の可能性が高いだろう。
もの (物・者) に、執着するな。
自分に合わなくなった物は、きちんと、
「手放すこと」が、大切だ。
「断捨離」の語源でも記した通り、
不要な物を捨てるだけでなく、離れていくものに執着しないことも、「断捨離」なのだ。
まずは、手放してから、その後で、今の自分に合った必要なものを買えばいい。
この時計は高価だったからとか、そう理由でしがみ付いていては、あなたはいつまでも、
精神の脱皮を完了できない。
もし捨てるのがしっくりこないなら、メルカリで売るなり、友達にあげればいい。
人間関係も心配要らない。
その時の自分に必要な人は、自動的に出会うのだから。
似た周波数の人は、勝手に引き寄せ合う。
それが、「宇宙の地球のシステム」なのだ。
自分に不要なものを抱えていても、自分が重くなって、動きにくくなるだけだ。
自分と周波数の合ってないものは、不要だ。
蛇が、成長につれて、自然と脱皮するように、人間の断捨離も、ナチュラルな現象である。
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