新型コロナに関して、今僕はどう捉えているのか。




この記事は、2021年の年始に公開する予定だったのだが、もう3月末となってしまった。笑

今年は、昨年よりも1.5倍の速度で、人生が進んでいっている気がする…。

いつの間にか、3月21日を過ぎ、日本の緊急事態宣言も全面解除されて、世の中の関心は今、「新型コロナ」から徐々に薄れてきていることかと思う。

そのタイミングとなってしまい、今更感は満載なのだが、僕自身が現在、「新型コロナ」に関してどう捉えているのか、ここに書き記しておきたい。

新型安全車“コロナ”登場!?

安全? or 危険?

まず、「新型コロナウイルス」と呼ばれているもの自体についてだが、

僕の中では、「ただの流行り風邪」だという認識だ。

というか、むしろ、風邪以下かな。

たしかに、2020年3月,4月時点では、普通の流行り風邪なのか、インフルよりも怖いウイルスなのかは、まだはっきりとは言えなかった。

でも、夏くらいからは、ただの風邪だなぁと、僕自身はずっと捉えていた。

おそらくそれはきっと、僕だけでなく、多くの人が分かりきっていたことだと思う。

意識的でなくとも、無意識的には

いまだに、99.9%の日本人は、マスクをして過ごしているが、それは、

コロナが危険な風邪だからではなく

自分がマスクをつけていないと、周りに良く思われないかもしれない。という恐れからだよね。

大体にして、僕の周りの人たちの中で、コロナに感染したという人は、1人もいないんだ。

信用ならないテレビの報道でさえ、多くても、1日1000人とか、普通の風邪を引いている人よりも、かなり少ない感染者数の発表だった。

普通に考えれば、ただの流行り風邪だよね…。

*もちろん、ただの風邪でも、体調管理は大切。*

しかも、そもそも、『PCR検査』というのは、新型コロナ以外も、反応してしまうというズボラな検査だから、新型コロナウイルスの感染者数とカウントされているのは、めちゃめちゃ当てにならない。笑

*PCR検査は、元々違うもののために発明されたもので、他に代替できる検査がないから、とりあえず使っているだけである*

もしかしたら、発表された感染者数の9割が、新型コロナではない可能性だって、全然あると思うな。

でも、人間というのは不思議な生き物で、皆、思い込みの天才だから、

自分がコロナにかかったと、頑なに信じれば、それが現実化してしまうことがある。

たとえ錯覚であったとしても、自分の中で、そうであったことにしてしまうのだ。笑

だから、ただの流行り風邪である「新型コロナウイルス」と呼ばれているものは、2020年の夏の時点で、感染力も非常に弱まり、ウイルス自体の力は弱まっていたのに、人類の思い込みは溶けず、持続したため、2021年の春まで、引き延ばしとなってしまった。

思い込みにも、“ 慣性の法則 ”が働くのかな…。

もちろん、思い込み以外にも、「コロナ」の危険性を煽り、自分たちの商売に繋げようとしたテレビ局のスポンサーである製薬会社たちの存在もあったのは否めないが、、、。

ワクチンに関して

僕自身の「新型コロナ」に対する認識は、上記の通り、

ただの風邪の一種なのだけれども、世の中では、ワクチンが、どうたらとか、色々騒がれている。

なので、それに対する僕の考えも、次いでに書いておきたい。

まあ、一言で言ってしまえば、

ただの普通の風邪に、ワクチンなんか打つ意味ないでしょ!

ピリオド。以上。

で終わりなのだが、

ワクチンというもの自体に関しては、置いておくとして、『コロナのワクチン』に関しては、メリットもないし、というか、デメリットしかないので、おすすめできない。

その理由の一つとして、

今回のワクチン (ファイザー、モデルナとか) は、

生ワクチンでもなく、インフルエンザとかの不活性化ワクチンでもなく、「mRNAワクチン」といって、まだ人体でテストすらされていないワクチンであるから。

そもそも僕はワクチンとか、そういうものが嫌いなんだけど、

今までのワクチンの原理は、ウイルスの感染力とかを弱めたものを体内に入れることで、抗体を作るという理論だったが、今回は、「メッセンジャーRNA」を体内に入れることで、新型コロナウイルスに似たトゲ(スパイク)を作り、それに対して、抗原抗体反応が出来るという理論のようだ。

従来のワクチンでも、動物実験など、何年もやってから、開発に5〜10年かかるのに、今まで、人間にやってこなかったタイプのワクチンを、いきなり人体実験しているのだから、怖いったらありゃしない。

ワクチンが、なんか怖いと感じている人は、正常な反応だと思う。

それに、遺伝子組み換え技術というのは、2,3年以内に、異常がなくても、10年後、20年後とか、また、妊娠して子供を産んだ時とかに、異変が起こる可能性も高い。

もしそうなったとしても、絶対に。いや、1億パーセント、政府や製薬会社は責任を取らないはずだ。

そういう意味でも、彼らの安全だと言う発言は、信用できない。笑

色々、ワクチンに関する議論は飛び交っているけれど、

まず第一に、「コロナ」は、ワクチンを打つほど危険な病気じゃないということ。

そして、ワクチン自体も、かなり危険(むしろ、コロナ自体よりも危険かも)なので、僕自身は、たとえワクチンを打つのが無料であっても、自分には打たないし、周りにも、おすすめしないな。

打ちたいなら打てばいいけど、

自己責任だからね!!

ということは、強調したい。

あと、今回のワクチンは、

自分だけでなく、自分の大切な人(息子、娘など)までも、被害を与えてしまう可能性が高いのは、理解した上で、やること。

その上で、ワクチンを打ちたいなら、どうぞ。

因みに、テレビやメディアで、ワクチンを推奨している人たち自身は、全く打つ気ないみたいだけど。笑

新型コロナの本当の役割。

堕落したままか、成長するか。

ここまでは、「新型コロナ」に関する“ 医学的な側面 ”の話をしたが、

ここからはもっと“ 総合的な話 ”へ移りたい。

時代を先取りしている。笑

もし、「新型コロナ」が、ただの風邪であるのなら、

どうして、今回は、ここまでの大騒ぎとなったのだろうか。

疑問に思う人も多いと思う。

正直、僕も不思議で堪らない。笑

でも、コロナには、

ただのウイルス以外に、違う作用があったように感じる。

例えば、

  • 働き過ぎの人類に休ませる。
  • 都内にいる必要性。
  • 機械を使えば、リモートで出来ること多いよね?
  • 会社の在り方、大学の存在意義を考えさせる。
  • 意味のないもの・ことを、浮き彫りにする。
  • これからの暮らし方をどうする?
  • テレビや政府が、いかに信用出来ないか露呈する。
  • 行き過ぎた資本主義にストップをかける。
  • 大量生産・大量消費の時代に、終わりを告げる。

などなど、

他にも例を挙げたら、キリがないが、コロナには、別の役割があり、人々に対して、たくさんの側面で、色々考えさせてくれたような気がする。

まだ現在進行形だけど…。

そして、これから訪れる大きな時代の分かれ目に対して、各々に、「あなたはこれから、どの道へ進みたいですか?」ということを、改めて考えさせ、行動に移していくための猶予期間だったように思う。

つまり、「新型コロナ」は、人類の集合意識が創造した産物で、それによって、ある意味、無理矢理、人類を方向転換させる役目を持って、出てきたのではないだろうか。

従来のやり方が、古くて、時代に合っていなくても、中々、自ら変わろうとしない多くの人間のために。

もしコロナが出現しなかったら、ずっとこのままだったはずだ。

飲食の営業時間も、朝から夜遅くまで、中身のない話をする大人数の飲み会を、おちゃらけながら続け、機械を使いこなす人間ではなく、機械に使われる人間が増えていき、食べ物、飲み物、洋服、必要以上に生産し続け、リモートで出来るのに、無駄に集まって会議して。

まさに人類のデスロードを突っ走っていく日々。

色々、コロナの陰謀論とか、騒がれているけど、コロナ自体は、善悪もなくて、中立の存在

それをどう受け取るのか、コロナによって、変化した世の中に、どう対応していくか。

成長していくのか。このまま堕落していくのか。

僕たち各々に、選択を与えているように思える。

おそらく、これから2,3年の間に、災害など、もっと人々を揺れ動かす何かが、神様 (本当の自分自身) から放たれるだろう。

コロナちゃんで、こんなに大騒ぎする人が多いくらいだから、みんな、もっとブレブレになるだろうな。笑

と予測される。

無明な現代人へ

ありのままの現実を見よ。

もし釈迦 (仏陀) が、今、この時代に生きていたら、こう言うだろう。

無明な現代人よ、智慧の目で見よ。

周りの情報に、踊らされてしまうのは、“ 物事の核 ”を見ていないから。

みんなありのままの現実を、ありのまま見ることが出来ず、色眼鏡を通して見るように、現実を歪めて見ている。

*もちろん、テレビの報道は、ありのままの現実ではなく、茶番だ。*

つまり、ないものをあると強く思い込み、自分の中であることにしたり、実際にそれが起きているかも、起きていないかもわからないことに対して、あれこれ考えたり。

釈迦は、そういうことを「無明」だと言った。

そして、「智慧の目で見よ」とは、

ありのままの現実を、ありのまま見なさい』ということだ。

これが出来る人は、全くブレない。

でも、どうしたらいいか。

残念ながらそれは、「文字」では伝えられない。

釈迦やイエス、ラマナマハルシが、自ら文字にしなかったのは、

真理は、言葉では説明出来ないから。

言葉は、月を指す指のようなもので、月ではない。

こういうことを、

禅の教えでは、

不立文字 (ふりゅうもんじ)」。

老荘思想では、

古人の糟粕 (こじんのそうはく)」。

と語られているのだが、

要するに、頭で知るのではなく、体得するしかないのだ。

しいていうなら、

幻想を見抜けば、ありのままの現実が浮かび上がる。

つまり、偽善者を見抜けばいい

そのコツなら、文字で教えられるかな。笑

その一つの方法は、

あなたに怖れを与えたり、脅かしたり、不安を与えたりするような情報は、偽物だからもし自分が恐れを煽られているように感じたら、その声に従わないことである。

なんだか、話が逸れてきたので、ここで切り上げよう。

とにかく、僕がこの記事を通して、

1番伝えたかったことは、

物事を裸の眼で、もしくは、透明なメガネで、中立に見よ。

ということ。

思い込みによって、現実を歪めて見ると、本当のことを見失ってしまう。

無明な現代人よ、智慧の目で見よ 👀

 



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