このサムネイル画像 (上) を見て、
なんか廃墟みたいな屋敷だなぁと思った人も多いかもしれない。
そう、僕は、あるインド人グループに、ここへ連れていかれたのだ。💀
聖者「初代シャンカラ」の導き
南インドケーララ州にて、ある日の出来事。
*「シャンカラ」と縁のある者は、この記事を読み通し、縁のない者は、最後まで読み切れないだろう。*
2020年1月31日。
南インド, ケーララ州のコチ郊外で、アーユルヴェーダのトリートメントを受けるため、施設に滞在していた時のこと。
関連記事 : 南インドのケーララ州で、アーユルヴェーダを7日間体験した正直な感想。
*因みに僕は、7日間コースを受けていた。*
滞在していた施設では、食事の時間帯も決まっていて、食堂のようなスペースに、みんな各々のペースで、時間内に、食べにやってくる。
アーユルヴェーダの治療 (トリートメント) 自体は、午前と午後に、1回ずつある。
僕は、その日の午後のトリートメントが、ちょっと遅めだったので、ランチ後そのまま、同じく治療に来ていた“ あゆさん ”という方と、少し喋っていた。
いつの間にか、食堂 (レストラン) には、人がいなくなり、僕と“ あゆさん ”だけに。
すると、ある一人の男性がやって来た。
彼は、インド生まれのカナダ人男性。
年齢は、40才を越えていて、見た目は、感じの良いインド人。彼も、僕と同じく、アーユルヴェーダの治療を受けにきていた患者だ。
でも、僕も“ あゆさん ”も、彼を施設内で、見たことはあったが、話したことは一度もなかった。
インド系カナダ人 : 「英語は話せるかい?」
インド系カナダ人 : 「お話中、お邪魔してごめんね。」
礼儀正しい感じで、僕たちに突然話しかけてきた。
僕たち : 「大丈夫ですよ。」
インド系カナダ人 : 「今日の夕方、この施設の近くにあるオーガニックスパイス農園に行くんだけど、興味あったりする?」
インド系カナダ人 : 「一応、スパイス農園に行き、その後、寺院に寄って、帰ってくる感じを予定してるけど。」
インド系カナダ人 : 「もし、興味あるなら、どうかなぁと思って。」
僕は、この日が、ちょうど4日目で、アーユルヴェーダの治療生活にも慣れてきたところだった。
そして、このブログをよく読んでる人はご存知かも知れないが、僕は、スパイスに凄く興味がある。
過去、アフリカのザンジバル島とスリランカでは、スパイス農園を訪れていたり。
関連記事 : スリランカのマータレーで、「スパイスガーデン」を訪問してみた。 (Old Village No.27)
僕は、
彼の「オーガニックスパイス」という言葉に惹かれて、「是非、参加したい。」と即答した。
彼とは初対面だが、嫌な予感もしなかったのも、行くことを決めた理由の一つだ。
因みに、僕と一緒にいた“ あゆさん ”は、
夕方に、呼吸法の個別レッスンを申し込んでいたのと、次の日の朝に別で、寺院を訪れる予定だったので、僕だけが、彼 (インド系カナダ人) のミニトリップに参加することとなった。
夕方16時頃 (ミニトリップへ)
午後のトリートメントを終え、集合時間になり、先ほどの食堂 (レストラン) 前に来ると、既に、あの“ インド系カナダ人 ”がいた。
どうやら、あと2人来るらしい。
しばらくすると、僕と同じくらいの年齢の“ 若いインド人女性 ”と、“ 僕より一回り年上のインド人女性 ”が、やって来た。
早速、4人は、タクシーに乗り込み、僕たちは、「スパイス農園」へと向かった。
*ちなみに、用意されたタクシーは、大人4人で、一杯一杯の広さ。もし他に参加者がいたら、みんな乗れなかった。*
しかし、最初に訪れた場所は?
僕たち4人グループを率いるのは、“ 僕より一回り以上年上のインド人女性 ”。
*水色のTシャツを着てるのが、インド出身のカナダ人男性。奥の黄緑色の服を着た若い女性が、僕と同じ歳くらい。手前のインド人女性が、このチームのリーダーだ。*
彼女が、タクシーのドライバーに指示を出して、目的地へと辿り着いた。
タクシーの中で、色んな会話が始まるが、インド人訛りの聞き取り辛い英語で、彼女達の会話は、とても理解し難かった。
僕は、彼女達の旅にジョインした形だったので、とりあえず、ついて行くしかない。
まず、施設に入ると、
そこで働いてる人が来て、僕らを案内してくれることとなった。
*オレンジ色の服を来た男性は、タクシーの運転手。*
「スパイスの農園」に、案内してくれるのだろうか?
森のような敷地内へワクワクしながら入っていき、連れてかれたのだが、
なぜか、辿り着いたのは、「パン屋さん」。笑
僕はここで何も買わなかったが、
他の3人はバナナケーキみたいなやつを買っていた。
「きっと、この敷地内のどこかには農園があるのだろう。」
そして、次に連れていかれたのは、
なんと、「老人ホーム」。
「あれ?スパイスは?」と思いつつも、
意識の高いメンバーで、みんな色々案内人に、この老人ホームのことについて、質問したりする。
ここは、女性専用の老人ホームらしい。
ここの敷地内自体、女性しか働いていないようだ。
僕たちの突然の訪問に、彼女達は、言葉ではなく、表情で答えてくれた。
小さな建物だったので、5,6分で見学は終了。
自然な流れで、次の目的地へ向かう。
そこで僕は悟ってしまった。
「(ここには、スパイス農園がないな。)」
案内人に、「スパイスはどこ?」と聞くと、やっぱりないようだ。
その施設で、袋詰めのガラムマサラは売られていたが、特に栽培はしてないらしい。
「スパイス農園に行くって言うから、僕は参加したんだけど。。。」
僕をこのミニトリップに誘った“ インド系カナダ人 ”も、この場所に、スパイスがあると思っていたようだった。
なので、
決して、僕を意図して騙したわけではなかった。
まあ、しょうがない。
しかし、僕の目的が果たされることなく消えた今、あとは、この3人の用事が済み次第、アーユルヴェーダの施設に帰るだけだ。
結局、ゆっくりと1時間くらい、この敷地内を見て回って、閉園の時間になったところで、見学は終了。
また同じタクシーへと乗り込み、次の目的地である「寺院」へと向かった。
そして、さらに僕を予想外の展開が待ち受けていた。
正直、
「寺院」を訪れることに興味はなかった。
僕は、「オーガニックスパイス」に興味があって、この誘いに乗っただけだ。
だから、内心では、
「(さっさと、寺院を見学して、アーユルヴェーダの施設に早く帰りたい。)」
そう思っていた。
老人ホームを出発し、「寺院」へ。
再び同じタクシーに乗り、30分くらい移動すると、ある寺院の前にやって来た。
しかし、このミニトリップの主導権を握るインド人女性は、「私が言ってるのは、ここの寺院じゃない。」とタクシーの運転手に抗議する。
どうやら、彼女は昔、その寺院へ来たことがあるようだ。
道行く人に場所を聞いたりしながら、グルグル周り、やっと目的の寺院のそばに辿り着いた。
ヒンドゥー教というのは、神様が、たくさんいる多神教だ。
ブラフマー (創造神)、シヴァ (破壊神)、ヴィシュヌ(維持神)、ガネーシャ (商売の神)、他にもたくさん。
それぞれの寺院で、祭ってる神様が違い、地域によって、寺院の建築様式も異なる。
そして、僕たちがやって来たのは、
「ラクシュミー」という『富の神様』が祀られている寺院だった。
しかし、あのインド人女性の1番の目的地は、ここではなかった。
タクシーを降りて、すぐさま向かったのは、この寺院ではなく、裏の住宅街へ。
「もう早く帰ろうぜ。」
正直、僕は内心、そう思っていた。
「(でも、タクシーは、一台しかない。)」
「(それに、施設までは、車で、最低でも45分はかかる。)」
「(貧乏旅行をしていたし、寺院の見学が終わるまで、大人しく待つしかない。)」
「(遅くとも、ディナーの時間 (20時) までには、アーユルヴェーダの施設へ戻るだろう。)」
そして、歩くこと2分、
僕たちが連れて来られたのは、
この廃墟みたいな屋敷のような場所。
「ここに何があるんだ。」
看板もなく、メインのゲートは閉められてるが、左側の小さな門を通り抜けて行く。
しょうがなく、僕が連れてこられた先は、
趣のあるよくわからない木造建築の屋敷。
なんか、少し日本らしい木造建築のような雰囲気も感じるが、日本では見かけない建築様式のようだ。
どうやら、ここが目的地らしい。
彼女達のように、僕も建物の中に入った。
*建物の中と言っても、上の写真のようなスペースの部分だけ。女性2人がいるところ。*
壁には、2つの絵画が、飾られている。
1つは、誰かの肖像画だ。
僕たちの旅を率いるインド人女性と同じように、みんな腰をかける。
すると、なんと、
彼女は、突然携帯にダウンロードされている「マントラ」を流し始めた。
「(嘘でしょ。。。)」
なんかよくわからない場所に連れてかれて、まさか、マントラまで聞かされるなんて。
みんな、目を閉じて、そのマントラを静かに聞いている。
とりあえず、僕もそのマントラが終わるのを静かに待つしかない。
いつ終わるかもわからない、全く聞いたことのないマントラをただ黙って聞く。
5分か、10分くらい経っただろうか。
ようやく、そのマントラが終わった。
「よし、もう帰ろう。」
そう思っていたが、インド人女性は、『この場所が、どういう場所なのか』を語り始める。
しかし、彼女の英語は聞き取りにくい。
代わりに、“ インド系カナダ人 ”が、僕にわかりやすく解説してくれた。
そのストーリー (物語) は、こうだ。
昔々、
「シャンカラ」というある僧侶 (Monk) がいた。
ある時、鉢を持った「シャンカラ」は、たまたま、この家 (あのインド人女性が、マントラを流した場所) を通りかかる。
そして「ご飯を恵んで頂けませんか?」と、この家の女性に訪ねるのである。
*僧侶は、毎日の食事を、一軒一軒の家を回りながら托鉢して、得る生活をしていた。*
しかし、彼女は非常に貧しくて、与えてあげられる食事が何もなかった。
でも、何かこの僧侶に与えて上げられるものはないかと、必死に考えた女性は、ふと、台所に、アムラの実が1つあることを思い出す。
こんなつまらないものでもいいのだろうかと、ためらいを感じるも、敬意を込めて、アムラの実を一つ与えたのであった。
それは、女性が持つ唯一の食べ物だった。
*アムラとは、南インドのアーユルヴェーダ料理にも使われる果実のこと。*
「シャンカラ」は、彼女のその行為に対して、非常に感銘を受けた。
そして、
「ラクシュミー (富の神様)」に尋ねるのであった。
「どうして、彼女は非常に貧しいのですか?」
すると、ラクシュミーは、答えた。
「それは、彼女が、前世で良くない行いをしたからである。」
でも、「シャンカラ」は、この女性に恩返しをしたいと思った。
そこで、目を閉じて、富の女神である「ラクシュミー」に、祈りを捧げるのであった。
「どうか彼女に、豊かさを与えてください。」
「シャンカラ」は、ラクシュミーを讃える歌 (マントラ) を作り、唱えた。
すると、奇跡が起きる。
彼女の家の庭にあるアムラの木に、黄金の実が降り注いだのだ。
そして、その貧しい女性は、豊かさを得た。
これは、カナカダーラー・ストートラと呼ばれる『ラクシュミー女神への賛歌』である。
この上の写真の「赤い絵画」が、
その時のストーリーの様子を描いたもの。
そう、僕がこの時に、あのインド人女性に聞かされたのは、この賛歌 (マントラ) だったのだ。
因みに、インドでは、この賛歌を唱えると、富が降り注ぐと信じられているらしい。
そして、この肖像画が、「シャンカラ」だ。
本名は、アディシャンカラ (Adi Sankara)。別名「初代シャンカラ」とも言われている。
だが、僕はこの時、
この「シャンカラ」という人物が、何者なのか全然わかっていなかった。
あのストーリーの起きた場所には、上のような注意書きも書かれていた。
注意書きの内容を要約すると、以下となる。
ここは、1200年前に、その出来事が起きた場所だと言い伝えられていて、この家に住んでいた家族の名は、「Punnorkode Family」と言う。
*因みに、このゲートに「Punnorkode」と刻まれていた。*
今はもうこの家には住んでいないが、私物なので、中に入ることは許されていない。
しかし、このエントランスのプラットホーム (演壇) に上がって、マントラを流したり、プージャを行うのは、構わない。
*エントランスの演壇とは、この部分。僕たちは演壇の周りにある廊下に腰をかけた。*
プライバシーを尊重してくれてありがとう。
さて、じっくりと、あの由緒ある屋敷で、賛歌 (マントラ) まで聞いた僕たちは、
ようやく、寺院を訪れた。
これが、富の神様「ラクシュミー」の寺院だ。
いつも間にか、日も暮れていく。
この寺院は中に入る方法がわからなかったので、外側から見学してだけだった。
その後、タクシーに乗り込み、「やっと帰れる!」と思っていたら、
この寺院 (上の写真) は、家族向けの寺院で、メインの寺院が別にあると話し出し、そのメインの寺院も訪れることになった。
ここでは、インド式のお参りが始まり、
今度は、20分くらい儀式のようなものが、スタートした。
「ここまで来たら、もういいよ。」
「これで終わりで、帰れるのなら、20分くらい大したことないさ。」
ヒンドゥー教のよくわからない儀式も終わり、やっと帰ろうとした時、
この寺院のオーナーが、バイクでやって来た。
どうやら、“ 僕たちのミニトリップを率いるインド人女性 ”は、この寺院のオーナーと面識があるらしい。
オーナーが、「あのストーリーは、知ってるか?」と聞いてきた。
「ちょうど、今さっき共有したところよ。」と、“ インド人女性 ”が、答える。
すると、彼女が、「でも、このお寺のストーリーは、知らないわ。是非、聞かせて欲しい。」と、言い始めた。
「嘘でしょ。まだ帰らないの!?」
スパイス農園に行くと言われたから、参加したのに、連れてかれたのは、「老人ホーム」で、さらに、屋敷や寺院など、あちこち連れてかれて、まだ帰る気がない。
本音では内心、「もう良い加減にして欲しい。」と思った。
でも、なかなかそうは言い出せない雰囲気が、漂う。
このミニトリップは、なぜか僕が彼らの旅にジョインしてる形になってしまってるのも、その理由の一つだ。
あの“ インド系カナダ人 ”の話によると、
他にも参加者がいて、個人的なグループなミニトリップではなく、病院主催のミニトリップのような言い方だった。
それに、僕は、パッと見てパッと帰る性格だ。用事をダラダラとこなすのは、嫌いなんだ。
インド人というのは、日本人からすると、非常に自己中心的な人間に映る。
なんでも自分、自分で生きていく人が多く、周りのことは基本考えないからだ。
「もう二度と、インド人とは、旅行したくない。」
僕は、心の中で、強く思った。
だが、僕の気持ちとは裏腹に、
寺院のオーナーの話が始まる。
しかも、ここからがまた地獄だった。
なんとこのおじいは、この寺院の「20年の歴史」を話し始めたのだ!
「もう最悪だ。笑」
(正直) 僕の全然興味のない話は、40分以上続く。
そして、僕以外のみんなは、食いつくように話を聞いている。
「はぁ。。。」
しかも、一向に話が終わりそうにない。
ふと時計を見ると、
「20時を過ぎてるではないか」。
アーユルヴェーダ施設のディナーの時間は、7時〜8時半までと決まっていて、ここから急いで帰っても、21時を過ぎる。
ディナー終了の時間に、間に合わない。
話が少しでも途切れてたら、「もう帰らないと、」と話を切るつもりだったが、永遠に途切れないので、もう強引に話を切って、「もうディナーの時間に間に合わないから、早く帰らないと!」と強く伝えた。
*因みに、怒鳴ったりはしてない。腕時計を指差して、雰囲気で強くそう示した。*
インド人女性は、まだまだ聞き足りない感じだったが、帰る準備を始める。
そして、ゆっくりと、みんな車に乗り込む。
しかし、今度は、車のエンジンがかからない。
タクシーを待たせ過ぎて、車も体を冷ましきっていたのだ。笑
みんなで、車を押して、エンジンがかかることを祈る作戦。
みんなで協力して、なんとか無事にエンジンはかかり、約1時間かけて、僕たちは、宿へと戻ったのであった。
「もう二度と、インド人とは、旅行したくない。」
僕は、心の中で、強く思った。
ようやく宿の部屋へ。
冷静に、この日の出来事を振り返ってみる。
結局、アーユルヴェーダ施設の自分の部屋に戻ったのは、22時前。
とりあえず、疲れたので、
部屋のベッドの上に寝転がると、僕は無意識に、この夕方の謎のミニトリップを冷静に振り返っていた。
まず、インド出身カナダ人のおじさんが、突然僕の元へ現れ、「オーガニックスパイス」という誘い文句に、まんまと釣られた自分は、なぜか「老人ホーム」に連れていかれる。そして、よくわからない昔のインド人のゆかりの地を訪れ、マントラまで聞かされ、さらに、寺院も2,3箇所行き、ある寺院では、その寺院のオーナーの話が、1時間始まった。
この旅の全ては、全く自分が意図したものではなかった。
だから、正直、不満を感じていた自分もいた。
でも、しょうがない。
それら全ては、自分の人生に起きて、僕はそれらを経験したのだ。
そこで、なんとなく「シャンカラ」について、ネット調べてみた。
*僕は、「シャンカラ」という人・存在を英語での会話で教えてもらったので、「Adi Sankara」と検索してる。*
すると、そこで初めて僕は、
彼が、8世紀頃活躍したインド最大とも言われてる哲学者で、解脱したとも言われており、不二一元論を説いた人であると知ったのだ。
そんな彼の有名なマントラ (インドで人気) の物語が起きた場所に、今日僕は、連れて行かれてたなんて。。。
あれだけ、あのインド人のおばさんに、イライラしていた自分も、驚きが勝ってしまった。
そもそも、なんで僕は、あのインド出身カナダ人のおじさんに、この旅へ誘われたのだろうか。
正直、疑問に思っていた。
だって、アーユルヴェーダの施設の食堂には、他に30人くらいいたし、日本人も僕以外に、4,5人いた。
にもかかわらず、彼は、一度も話したことのなかった僕を誘い、僕だけが、あのグループのミニトリップに参加したのだ。
もしかしたら、シャンカラに導かれたのかもしれない。
「アーユルヴェーダ施設で、暇してるあの日本人の小僧 (こぞう) も、ついでに、一緒に連れて来なさい。」と。笑
もしや、「オーガニックスパイス」という甘い誘い文句を彼に提案したのも、シャンカラかな?笑
おまけ
長い話をここまで読んで下さり、ありがとうございます。
きっとあなたも「シャンカラ」と縁があるのでしょう。
おそらく、日本人の99%は、「シャンカラ」という人物の存在を知りません。
僕も、あのインド人グループに、あの屋敷へ連れて行かれるまで、名前すら聞いたことありませんでした。
インド人ならまだしも、日本人にとっては、縁がなければ、知ることの出来ない存在なのではないでしょうか。
ここまでは、
僕が実際に体験したありのままの経験です。
2020年1月31日に、起きた出来事、そして、その日の夜に、僕が感じたことを記してきました。
そして、ここからは、
「その日以降に起きたことについて」少し書きます。
シンクロニシティー
僕は、2020年の1月9日から、約1ヶ月で、インドを縦断しました。
関連記事 : インド縦断32日間の一人旅を終え、今の率直な感想を綴る。
アーユルヴェーダの施設に滞在していたのも、僕がシャンカラの存在を知ったのも、インド縦断の旅の最後の方です。
南インドのコチを去った後、
僕が向かったのは、インドに来る前から元々予定していたティルヴァンナマライにある「アルナーチャラ山」という場所でした。
これまたマイナーな場所かもしれないんですけど、
ここは、20世紀最大の覚者と、言われている「ラマナマハルシ」との縁で、足を運びました。
*ラマナマハルシとの縁は、5年前だったのですが、その話は今回しません。*
実は、日本に帰国後、シャンカラの著である本 (ウパデーシャ・サーハスリー) を読みました。
すると、そこで、「ラマナマハルシ」と「シャンカラ」の話が、シンクロしたのです。
2人とも、言ってることが同じで、解脱の方法も、互いに「知識の道 (これではない、これではないと否定した後に残るものが、真我というアプローチ)」を通して、解脱しています。
僕は、正直、解脱することにあんまり興味ないんですけど、
この記事で、僕が伝えたかったことは、
『直感』と「シンクロニシティー」についてです。
なんとなく面白そうだからという理由 (直感・導きに従い) でついていったら、自分が意図して行こうとしてなかった場所へ行くことになり、そこで出会ったものが、今後の自分の人生に繋がっていく (シンクロニシティー)。
脳科学者は、このことを「Aを探して、Bに出会う。それが、幸運の方程式。」なんて言ったりしますが、、、。
直感に従っていくと、シンクロニシティーが、リズム良く起き、何かに導かれるような人生を歩んでいくことになります。
今回の体験談は、その一例です。
インドでの経験やそこから学んだことは、いくつか記事に書いてるので、興味のある方は、是非、他の記事も、覗いてみて下さい。
関連記事 : インドで学んだのは、「水のように生きる」ということ。
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