シンハラ王朝の各時代を象徴する3種のムーンストーン。




北海道の約0.8倍の国土を持つ緑豊かな島国「スリランカ」。

この国の歴史は、日本と違い、非常にシンプルである。

スリランカには、紀元前483年から、イギリスに滅ぼされる1815年まで、約2300年間も、続いた王国があった。

その王国の名を『シンハラ王朝』という。

シンハラ王朝は、アヌラーダプラを初代王都とし、その後、2回都を移す。

*2代目の王都は、ポロンナルワ。最後の都は、キャンディ。*

よって、『シンハラ王朝』は、

大きく、3つの時代に分けられる。

①アヌラーダプラの時代 (BC483〜11世紀)
②ポロンナルワの時代 (10〜12世紀)
③キャンディの時代 (15世紀〜1815年)

紀元前3世紀には、インドから仏教が伝わり、国教は、かなり早い段階で、「仏教」へ。

*因みに、現在のスリランカは、多宗教国であり、ヒンドゥー教・イスラム教・キリスト教の信者も多い。*

そして、王様は、「仏教都市」を築いていく。

だが、スリランカに伝来した仏教というのは、上座部仏教 (小乗仏教) であり、日本の大乗仏教ではなく、都に築かれた寺院は、日本の寺院とは、全く異なる。

さらに、独自の発展もしており、シンハラ王朝の建築スタイルでは、神聖な寺院の入り口に必ず、「ガードストーン (魔除石)」と、

ムーンストーン』がある。

上の写真の1番手前にある半円の石板が、

ムーンストーン』。

ムーンストーンを両サイドで挟む2つの石像が、「ガードストーン (魔除石)」だ。

そして、ガードストーンというのは、入り口から悪魔が入ってくるのを防ぐためで、

ムーンストーンは、『輪廻』を表す。

シンハラ王朝の3種のムーンストーン

実は、この『ムーンストーン』。

時代によって、デザインが大きく変わる。

そこには、それぞれの時代背景が映し出されてるのだ。

早速、3つの時代において、どう変化していくのか写真と共に見ていこう。

1. アヌラーダプラ (初代王都)

*トゥーパーラーマー大塔のエリアにあるムーンストーン*

まず最初に見ていくのは、

シンハラ王朝の初代王都「アヌラーダプラ」にある『ムーンストーン』。

パッと見ると、

動物と鳥が描かれてるのはわかると思う。

そして、その動物をよく見ると、

時計回りに、『ゾウ』、『』、『ライオン』、『』の順番で描かれている。

これは、仏教における「四苦」を表している。

具体的には、

①『ゾウ』・・・「(生まれる)
②『』・・・「(年老いる)
③『ライオン』・・・「(病気になる)
④『』・・・「(死ぬ)

という意味合いだ。

一方で、鳥は、同じ種類の鳥が、連続している。

この鳥は、「白鳥」だ。

そして、円の中心部にあるのは、「ロータス (蓮華・ハスの花)」である。

歴史を知らなくても、

このムーンストーンに、「ゾウ//ライオン///ハスの花」が、描かれてることはわかるだろう。

また、ここまでのことは、ガイドブックやネットで調べても、情報を得ることが出来る。

だが僕はここから、もう1段階、この「ムーンストーンの意味」を掘り下げてみたい。

*クイーンズパビリオン (Queen’s Pavilion) にあるとても状態が良いムーンストーン。*

ゾウ (誕生)』、『(老年)』、『ライオン (病気)』、『(死)

このムーンストーンが、『輪廻』を表すことは、わかるだろう。

だが、実は、もう一つ表されている。

よくこの半円形の石板を見ると、同心円状に、「6つのレーン」があるはずだ。

外側から、半円の中心部に向かって、

6つのレーン

①・・・「炎の輪」
②・・・「ゾウ、馬、ライオン、牛」
③・・・「波状の模様」
④・・・「花をくわえた白鳥」
⑤・・・「つる状の植物」
⑥・・・「ロータス (蓮華・ハスの花)」

そして、おそらく、この「6つのレーン」は、

仏教の『六道』を象徴している。

六道

・地獄道 (最も苦しみの多い世界)
・餓鬼道 (嫉妬・欲望の激しい世界)
・畜生道 (動物や鳥など、本能だけの世界)
・修羅道 (苦しみの絶えない世界)
・人間道 (生老病死の四苦八苦がある世界)
・天道 (人間の世界より苦が少ない世界)

先ほどのムーンストーンの「6つのレーン」と『六道』を合わせてみると、

まとめ

地獄道・・・「炎の輪」
餓鬼道・・・「激しい波状の模様」
畜生道・・・「花をくわえた白鳥」
修羅道・・・「つる状の植物」
人間道・・・「ゾウ、馬、ライオン、牛」
天道・・・「ロータス (蓮華・ハスの花)」

つまり、

アヌラーダプラ遺跡地区にある「クイーンズパビリオン (Queen’s Pavilion)」のムーンストーンには、『六道輪廻』が、描かれている。

というのが、僕の推測だ。

*トゥーパーラーマー大塔のエリアにあるムーンストーン*

因みに、アヌラーダプラ遺跡地区には、何個か、ムーンストーンがある。

そこで、僕が1番最初に紹介した「このムーンストーン」をよく見てみると、

こっちは、「5つのレーン」しかない。

半円の中心部から、

①ハスの花 (蓮華)
②白鳥
③つる状の植物
④ゾウ、馬、ライオン、牛
⑤炎の輪

描かれてる動物の種類は同じだが、同心円状のレーンが、1つ少ないのだ。

ではなぜ、このムーンストーンは、1つレーンが少ないのだろうか。

それには、「アヌラーダプラと仏教」の歴史を知る必要がある。

仏教の歴史と変遷

まず仏教は、今から約2500年前に実在した「釈迦 (ゴーダマシッダルータ) の教え」が、原点だ。仏陀であるお釈迦様の死後、彼に直接言われた教えを大事に生きてきた人たちがいた。それが、「上座部仏教 (小乗仏教)」である。しかし、お釈迦様が生きていた時代から、時間が立つにつれ、時代も変わり、仏教の宗派の中で対立が起きる。そこで初めて『大乗仏教』が生まれた。それが、紀元後から、一世紀頃の話だ。

この記事の最初の方でも記したが、

アヌラーダプラは、シンハラ王朝の初代王都で、「紀元前483〜11世紀」の約1300年もの間続いた都だ。

そして、長いアヌラーダプラ王国の中で、

仏教が伝来したのは、「紀元前247年」。

つまり、最初に、アヌラーダプラへ入ってきたのは、仏教の中でも、「上座部仏教」と言われるものである。

*因みに、日本の仏教は、「大乗仏教」の影響を強く受けたもの。*

その初期仏教では、「地獄餓鬼畜生人間天上」を『五趣 (五道)』とし、

修羅 (波状の模様)」はなかった。

*トゥーパーラーマー大塔のエリアにあるムーンストーン*

なので、このムーンストーンには、「修羅 (波状の模様)」が、含まれていないのだ。

六道』というのは、大乗仏教成立後、『五趣 (五道)』に、「修羅」を含めたものである。

アヌラーダプラは、上座部仏教が、伝来した後も、王朝の都として、約1300年続いている。

つまり、「大乗仏教」も、後から伝わってきているのだ。

最終的に、スリランカには、上座部仏教が根付いたが、大乗仏教の影響も受けている。

*因みに実際に、上座部仏教と大乗仏教の対立もあったようだ。*

ちょっと説明が長くなってしまったが、

よって、ここからわかるのは、

*トゥーパーラーマー大塔のエリアにあるムーンストーン*

この「5つのレーンのムーンストーン」の方が、より古いものであるということ。

すなわち、下の写真のアヌラーダプラの遺跡で、

最も保存状態の良いと言われている「6つのレーンのムーンストーン」は、

*「クイーンズパビリオン (Queen’s Pavilion)」のムーンストーン*

先ほどの「5つのレーンのムーンストーン」よりも後で作られた新しいものだと考えられる。

補足

5つのレーン・・・トゥーパーラーマー大塔のエリアにあるムーンストーン。
6つのレーン・・・クイーンズパビリオン (Queen’s Pavilion) のムーンストーン。

まとめると、

アヌラーダプラ時代の「ムーンストーン」は、仏教の『五趣六道』を象徴したものである。

2. ポロンナルワ (2代目王都)

約1300年続いたアヌラーダプラ王国であるが、王国に永遠はない。

度重なる南インドのチョーラ王朝により侵略により、シンハラ王朝は、「ポロンナルワ」へと都を移すことになる。

そして、シンハラ王朝は、10〜12世紀の間、ポロンナルワを王都とする。

しかし、この頃になると、仏教の力よりも、ヒンドゥー教の勢いが増してくる。

その時代背景が、ムーンストーンにも、反映される。

ポロンナルワのムーンストーンでは、「」の姿がない。

ヒンドゥー教が、「」を神聖なものとして、捉えているからだ。

おそらく、宗教対立を避けるために、「」の彫刻を外したのだろう。

*仏教の四苦において、死を象徴する「牛」が描かれていては、よろしくないので。*

因みに、もう一つ消えた動物がいる。

ライオン』だ。

それは、シンハラ王朝の民「シンハラ人 (ライオンの子孫)」と関係があると思われる。

ポロンナルワが王都の時代は、シンハラ人へのリスペクトが薄れていたのか、権力が弱まっていたことを表現したかったのかもしれない。

詳しい理由はわからないが、

整理すると、

ポロンナルワのムーンストーンでは、「」と『ライオン』の姿が消え、描かれた動物は、

白鳥・ゾウ・馬」の3つになってしまう。

ご覧の通り、

もはや、このムーンストーンに、仏教の『五趣六道』の姿はなく、

ポロンナルワの時代における「宗教的背景や仏教の衰退していく姿」が、象徴されているように思う。

3. キャンディ (最後の王都)

そして、

シンハラ王朝の最後の都「キャンディ」。

なんと、この時代になると、

かつての動物 (ゾウ、馬、ライオン、牛) が、1匹も描かれていない。笑

しかも、形が「半円」じゃなく、どちらかというと、『三角形』に近い。

専門家にも、なぜこんなムーンストーンになったのかわからないらしいが、

考えられる理由としては、

キャンディの時代が、ゾウを乗り物として利用する機会が増え、ライオンは、島から絶滅し、馬にも乗らない、牛も使う場面が少ない。

その時代の人々において、4種の動物 (ゾウ、馬、ライオン、牛) の象徴は、「生老病死」から、別のイメージへと完全に変わってしまったのではないだろうか。

僕が、キャンディの仏歯寺を訪れた時に、

人々は、ゾウに乗り、「liyavel」と呼ばれるシンハラ文化の独自の模様で、彩られる。

こういうアートが、描かれていた。

キャンディの時代の職人の間では、

liyavel」と呼ばれるデザインが、流行になっていたのかもしれない。

この模様は、アヌラーダプラの時代からあるものだが、その模様の発展に、職人のエネルギーがより割かれていったのであろう。

まとめ (奥深いムーンストーン)

僕は、スリランカの遺跡を見学していた時、

周りの観光客も観察していたのだが、

多くの観光客は、この「ムーンストーン」をスルーしていた。

でも、こうやって、じっくりと分析してみると、意外と、奥深いことに気が付くはずだ。

アヌラーダプラの時代は、仏教の『五趣六道』が、重んじられ、ポロンナルワの時代では、仏教の力が少し衰え、ヒンドゥー教の影響を受け、キャンディの時代には、そのどれもが消え、別の独自の文化が生まれる。

文献を読まなくても、デザインからこれだけの情報を得ることが出来る。

芸術とは、メッセージだ。

歴史を芸術から紐解くのも、面白い。

関連記事 : ポロンナルワの仏教の中心地だった遺跡「クワドラングル」。



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