『奴隷貿易』という言葉を聞いたことあるだろうか?
僕は、ザンジバル島を実際に訪れるまで、一度も、その単語を聞いたことなかった。
最初聞いたときは、その意味もよくわからなかった。
ザンジバル島の奴隷貿易
では、『奴隷貿易』とは、一体何なのだろうか!?
この単語からすぐに想像できる人もいるかもしれないが、
簡単に言うと、
ザンジバル島にいるアラブ人が、東アフリカ全域から連れてきたアフリカ人を奴隷として、外国へ売りさばいていたんだ。
奴隷 (アフリカ人) を売る商売をしてた。
それに、売るだけでなく、彼らに対する扱い方も卑劣だったらしい。
しかし、そんな奴隷貿易も、1873年には、幕を閉じる。
奴隷市場跡に、建てられた「大聖堂」
悲惨な歴史を忘れるため、かつ、忘れないようにするために、当時、奴隷を査定していた奴隷市場の場所は、『大聖堂 (Cathedral Church)』へと造りかえられた。
だが、当時のものを根っこから全て造りかえたわけじゃなく、その奴隷市場のスペースはそのままで、ただ教会へと姿が変わり、奴隷が収容されていた地下室も、今なお残っている。
ザンジバル島のストーンタウンを訪れるまで、『奴隷貿易』のことを一ミリも知らなかったので、その勉強も兼ね、僕は、大聖堂へ足を運んだ。
大聖堂と奴隷貿易の歴史
上の写真の中に、「East African Slave Trade Exhibit (東アフリカの奴隷貿易に関する展覧会)」という看板がある。
ここが大聖堂のエリアを見学するための入り口だ。
その看板ら辺に、チケットカウンターがあり、そこで、入場料「5ドル or 10000シリング」を支払う必要がある。
そして、チケットを買う前に、荷物検査があるので、出来るだけ手ぶらに近い状態で、見学しに行くのが、おすすめだ。
因みに、チケットカウンターの手前のちょっと外れた場所で、荷物検査があるのだが、その場所からチケットカウンターの手前に、「俺がガイドをしてやるよ!」と言い寄ってくる人がたくさんいる。必要ないなら、きっぱりと断ろう。
無料ガイドではなく、有料ガイドだし、彼らは、かなりしつこいので。
因みに、チケットは、こんな感じ。
チケット購入後は、そのまま建物の入り口に入ると、
奴隷貿易の歴史が、綴られている。
だが、説明は、英語とスワヒリ語のみだ。
この展覧会を見終わると、お土産ショップへ出る。
だが、そこからすぐに、建物の外へと出ないで欲しい!
少しわかりにくいかもしれないが、そのお土産店に、地下へと続く道がある。
そこが、かつて、奴隷市場で売るための奴隷を閉じ込めてた場所だ。
ここへ行かずして、奴隷貿易は語れない。
天井が低くて、少ししゃがみながら、歩く形にはなるが、それが当時の様子を物語っている。
こんなに天井が低くて、小さな暗い部屋に、鎖で繋がれたまま、ギュウギュウ詰めに、閉じ込められてたらしい。
この建物を出ると、奥に大聖堂がある。
ここが、かつての奴隷市場の場所だ。
教会にしては、アラビックな外見の聖堂である。
教会のメインの入り口のドアも、ザンジバル独特の彫刻が施された木彫の扉 (ザンジバルドア) だった。
これが、大聖堂の中。
ここが、かつての奴隷市場が開かれてた場所だ。
椅子に座りながら、当時の光景を思い浮べてみよう。
次に、教会を出て、左方面へ歩いていくと、「Slave Monument (奴隷の像)」がある。
これもまた必見だ。
当時の様子が、すごく伝わってくるモニュメントなんだ。
やっぱり、写真とか絵よりも、こういうモニュメント (像) の方が、人の感情や生々しさは、より伝わってくる。
最後に
本当は、教科書や教授の講義ではなくて、実際に現地を訪れて、立体的に、歴史を学ぶ方が、効率的なんだよね。
もっと知りたいというモチベーションも生まれるし、表面的な刺激ではなく、自分の根っこを刺激される。
だから、吸収力も違うし、簡単に忘れない。
学校の定期テストの内容は終わったら、すぐ忘れてしまうけれど…。
ザンジバル島の「ストーンタウン (Stone Town)」は、歴史が凝縮されているすごくユニークな街だ。
もしザンジバル島に訪れる機会があるなら、街歩きしたり、パレス博物館を訪れたり、この『大聖堂 (奴隷市場跡)』にも、是非、足を運んでみて欲しい。
きっと、ストーンタウンにより惹かれると思う。
アクセス
因みに、大聖堂のある場所は、上の地図の「赤枠のエリア」。
で、注意して欲しいのは、このエリアに入るための入り口だ。
入り口は、1つしかない!
「New Mkunazini Rd」という通りで、「赤ピン」のところだ。
ストーンタウンの街は、慣れるまで迷路なので、永遠に辿り着かないケースもある。笑
場所がわからない時は、ぜひ、この地図を利用して欲しい。
感動しました