ブルームで、船が岸に戻れなくなった時の話。出来事は、全て解釈次第?




2016年の5月。

今から約4年前の話だが、

西オーストラリアの「ブルーム (Broome)」という夕日が綺麗な地域に滞在してた時のこと。

*ブルームのケーブルビーチにて。*

ある時、イルカを見るサンセットクルージングツアーのパンフレット見かけ、直感的に、これに参加したいと思い、申し込むことにした。

ブルーム (Broome)」という場所は、

仕事を引退したオーストラリアの人たちに、人気な田舎の小さな町でもある。クルージング参加者のほとんどは、年配の人たちだった。

40代の2カップル以外は、仲の良い老夫婦6人組、そして、日本人 (アジア人) の僕一人。乗客は、全部で、13人程度だ。

ツアーの始まりは、それぞれの宿へミニバスがピックアップに来て、そのまま岬のような場所へ向かう。そこに到着すると、小さなボートに乗って、50m先の海に浮かぶ少し大きめのクルージングボートに乗り換えた。

*少し大きめと言っても、15人程度向けのサイズだ。*

因みに、なぜ最初に、小さなボートに乗り換えたかというと、

その沿岸は、海面のすぐ下が、レッドロックの岩場で、大きい船は近付けないから。

この写真は、ブルームの別の場所で撮った写真だが、ブルームの沿岸の多くは、こんな感じで、ビーチの部分以外、上のような岩が、ゴロゴロしてる沿岸が多い。

なので、まず小さなボートで、乗客を50m先くらいにある中級のクルージングボートに運び、2,3往復くらいして、乗客みんなを移動させる必要があった。

*クルージング用の船に乗り換えたら、小さなボートは、上の写真のような形で、紐づけてる。奥に見える岸が出発点だ。*

船を乗り換えると、早速乗客の多くは、ビールを飲み始め、クルージングを各々堪能してる。

だが、僕自身は、あんまりクルージングしたかったわけじゃなく、珍しいイルカを見てみたかっただけだったので、船酔いにしない程度に、写真を撮ることに集中していた。

因みに、珍しいイルカというのは、「オーストラリアカワゴンドウ (Australian Snubfin Dolphin)」である。

あんまり近くでは見れなかったので、しっかりとは写真に収められなかったが、一応見ることはできた。

1,2時間クルージングしていると、だんだん、日が落ちて行く。

個人的に、ブルームの海は、すごく綺麗だと思う。

これまで色んな海をみてきたけど、僕が1番好きな海は、西オーストラリアだ。

夕陽は、あっという間に沈む。

じっくりと、夕日が沈んでいくを見届けたら、あとは、港へ引き返して、帰るだけ。

まだ夕方の18時くらいだけど、僕は、凄くお腹が減っていた。

どうやら、オーストラリアの旅の疲れも溜まってきてるようだ。

既に、僕の頭の中は、今日の夕飯のことで一杯になっていた。笑

乗客を見渡すと、

みんなワイワイしながら、会話が盛り上がってる。

特に、老夫婦の6人組は、長年の大親友のようで、仲良く楽しんでいる。

あっという間に時間は過ぎ、クルーズ船も、岸から50mほど離れた場所に辿り着いた。

ここで、行きの時と同じように、3,4人ずつ、小さなボートに乗って、岸へと向かう。

しかしここで、まさかの事件が起きた。

それは、潮がいつもより引いていて、岩が海面に近過ぎて、小さな船でも、岸へ戻れなくなったのだ。

予想外のハプニングに、操縦士も驚いている。

いつものルートでは、ダメだったので、とりあえず、第一陣の乗客をクルージング用の船に戻し、操縦士は、他に戻れそうなルートを探しに行った。

僕たちは、船の上で、朗報を待つしかない。

そうこうしていると、

あっという間に、辺りは暗くなる。

僕は、この海が地元じゃなくて、この辺の地理を全然把握できてない。

もしかしたら、明日の朝まで、岸へ戻れないんじゃないか。」と頭によぎる。

先行きの見えない出来事というのは、人を大きく不安にさせ得るものだ。

船から岸まではそんなに離れていない。最悪、泳いで帰ることも可能だ。

僕の思考は、フル回転。

色んな状況を想定し、対策を練り始める。

もし明日の朝まで帰れない感じなら、泳いで帰ってやる。

自分が望んでない出来事が起き、正直、少し苛立ちも感じていた。

僕は、とにかく早く帰りたかったんだ。

なぜなら、凄くお腹が減っていたし、旅の疲れも溜まっていたから。

「(もし、日本でこんなこと起きてたら、みんな催行者に文句言うだろうな。)」

船が岸に戻れないなんて、どんなクルージングやねん!?」と。

果たして、

「(この乗客のみんなは、どう思ってるんだろう?)」

ふと、思考の世界から現実へ戻ってきて、周りを見回すと、

おばちゃんたちは、自分が予想していたのと、全然異なる様子だった。

あら?岸に戻れなくなっちゃったの?

そういえば、昔もこんなことがあったのよ。…..」と、昔話を語り出し、なぜかみんなで明るく盛り上がってる。笑

個人的に、1番文句を言いそうだなと思っていたおばちゃんたちは、

全然不平不満や不安な様子を見せずに、しかも、すごく、このハプニングをポジティブに捉えていたのだ。

僕は、驚いた。

すげえな、このおばちゃん達。

こんな状況でも、誰のせいにもせずに、明るく大きな器で、ハプニングを受け入れてるなんて。

だが、僕は思考は、決して穏やかではなかった。

「(いや、おばちゃんたちは、いいよ。60年,70年と、人生を生きてきたのだから。)」

「(でも、僕はまだその3分の1も、生きてない。ここで最悪な結果になって、死ぬのは避けたい。)」

どんどんと、頭の世界では、最悪な状況を考え始め、あれこれと余計なことを考える。

だが、

この不安や苛立ちも感じるようなこの状況に対して、

あまりにも不安を感じず、この状況すらを楽しんでるおばちゃんたちの様子を見て、

そっちの雰囲気に飲み込まれて行く自分もいた。

すると、その中のおばちゃんたちが、日本人でただ一人このクルージングに参加してる若僧の僕に、話しかけてくれる。

どこから来たの?学生?大学では何を専攻してるの?」と、色々聞いてくる。

地理学を専攻してます。

たわいも無い会話をするが、

船のエンジンの音と、オーストラリア英語の訛りで、何を言ってるのかよくわからず、会話があまり成り立たない。笑

自分の予想外の出来事に抵抗しようとしてる自分とは違って、おばちゃん達は、ハプニングを抵抗せず、受け入れてる様子だった。

決して、ネガティブに捉えずに、ハプニングすらも楽しみながら、天命を待つように。

30分くらいすると、

小さなボートでルートを探しに行っていたツアーリーダーでもある操縦士が、戻ってきた。

この周辺の岸を全部試したが、どこも無理だった。

だから、今からこのクルージングボートで、あっちの岬をグルっと回って、長くて広いケーブルビーチ (Cable Beach) の方で、みんなを降ろそうと思う。

今まで一度もトライしたことはないから、どうなるかわからないけど、努めてみる。みんな本当に申し訳ない。

僕は、このクルージングツアーを9年間やってるけれど、こんな出来事は初めてだ。

1番不安を感じていたのは、ツアーリーダーの操縦士だったと思う。

でも、堂々としながらベストを尽くさないと、周りの乗客に不安を与えてしまう。

その辺は徹底して、強い姿勢を貫く操縦士だった。

因みに、僕たちが向かう「ケーブルビーチ」というのは、オーストラリアのブルームで、最も有名なビーチだ。

*ケーブルビーチ*

泳ぐのには、適していない海だが、

上の写真のように、砂浜の部分の奥行きが長く、横の長さもある。

そこなら、岩がないから、着岸しやすいだろうと、操縦士は判断したのだ。

あの岬を回って、ケーブルビーチまで行くには、このクルージングの船で、30,40分かかるらしい。

今日の夕飯は、間に合いそうにない。

まあ、しょうがない。無事に岸へ戻れることを祈ろう。

ケーブルビーチの方まで移動している時は、

みんな各々会話しつつも、疲れてきて、口数は減って行く。

たくましい操縦士を信じて、運命を任せてる様子だった。

40分ぐらいすると、ケーブルビーチの近くまで辿り着いた。

これ以上、このクルージング船で、岸には近寄れないので、このポイントからは、小さなボートに乗り換えて、ビーチへと向かう。

僕は、第一便の小さな船に乗せられて、岸へと向かった。

夕方の時とは違い、もう夜遅くて、辺りは真っ暗だ。

小さなボートにも、明かりをつけて、真っ暗な海を駆け抜けて行く。

すると、この小さなボートの明かりに引き寄せられて、サーモンが、飛び跳ねてきた。

何十匹ものサーモンが、

ビーチへと急いで向かう、この小さなボートの真上をジャンプしたり、ボコボコと、船にぶつかってくる。

中には、乗客の顔に、魚が当たったりもしていた。笑

真っ暗な海の上を走る小さな船、ブルーライトで照らし出される船の周りの光景、まるで映画のワンシーンのように、めちゃくちゃ幻想的で、感動的な瞬間だった。

*写真や動画で是非伝えたいところだが、撮ってる余裕はなかった。*

無事に岸へと辿り着けるのか。」という不安を抱えつつも、この幻想的な光景に、僕は心を奪われていた。

夜の海は、本当に真っ暗だ。

田舎で、街頭のないビーチでは、真っ暗過ぎて、どこが海でビーチなのかさえよくわからない。

そのため、操縦士は、40分くらい前に、船の上から友達に電話していて、ミニバスで、ビーチの上まで、迎えにきてもらい、バスのライトをつけてもらっていた。

真っ暗闇の中、そのバスの光を目掛けて、僕たちの乗った小さなボートは、進んでいく。

そして、遂に、ビーチへと辿り着いた。

ビチャビチャに濡れたビーチの上を歩き、バスへと向かって行く。

20分くらいして、ようやく、無事に乗客のみんなが、ビーチに到着した。

だが、達成感に浸ってる時間も、気力もない。

みんな疲れていたし、もう夜遅くだったので、すぐバスに乗り込んで、それぞれのホテルへ。

僕が、宿の部屋に戻って、時計を見ると、

既に、22時を回っていた。

*因みに、本来なら、19時には、ホテルに到着するツアーである。*

この経験で、学んだこと。

出来事は、全て解釈次第?

とにかく、長いクルージングツアーだった。笑

先の見えない出来事というのは、永遠に感じるものだ。

それに、まさか、9年間一度も起こったことのないハプニングが、自分が参加したときに、起こるなんて思ってもいなかった。笑

もうあれから、4年が経つ。

だが、今でもあの時の経験をよく覚えている。

会話の内容は、ほとんど覚えていないが、

あの時のおばちゃん達の姿勢や、帰りの小さなボートの上で見たサーモンが飛び跳ねる「幻想的な光景」は、忘れられない。

僕が、この経験を通して学んだことは、

出来事というのは、どう捉えるのか、どう見るのか、「全ては、自分の解釈次第。」なんだということ。

自分がコントロールできないことに、あれこれ不安を感じたり、抵抗したり、文句を言っても、どうしようもない。

最悪だと思えるような出来事も、

ただ起きてるだけであって、捉え方は、人それぞれ自由なんだと。

僕のように、船で岸に帰れなくなることを不安に感じることも、苛立ちを感じることも、最悪だと思うこともできる。

だがその一方で、

あのおばちゃん達のように、ハプニングとして、楽しむこともできる。

今回のコロナウイルスの出来事に関しても、ポジティブに捉えてる人もいれば、深刻に捉えてる人もいるだろう。

でも、出来事自体には、良いも、悪いもないのだ。

良い悪いというのは、意味づけをする人間によって決まる。

ネガティブに捉えても、自分のためにはならない。

僕は、今回の経験を通して、あのおばちゃん達から、「物事の捉え方」というのを学んだ。

あれ以来、自分にとって、一見、不都合な出来事が起きても、思考に囚われず、冷静に物事を捉えられるようになった気がする。

ブルームで、船が岸に戻れなくなった時の話。

今では、非常に、良い思い出だ。

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