今、”思考”したことを、ここに書き記しておきたい。
2017年に、Avicii(アヴィーチ)のドキュメンタリー『True Stories』が公開された。日本では11月23日(木・祝)、24日(金)の二日間限定で、指定の映画館にて、上映されている。
その後、Netflix(ネットフリックス)でも公開されるとのことで、多くの日本のAviciiファン、もちろん僕自身も期待していたのだが、日本版のNetflixでは、公開されず。なお、海外版では公開されている。
※2023年は、海外のNetflixでも、観れていたが、ドキュメンタリー『I’m Tim』が公開されたので、今でも観れるかどうかは、調査中です。
2つの“ドキュメンタリー”
Avicii – True Stories (2017)
予告編|AVICII: TRUE STORIES
僕自身は、2017年11月23日(木・祝)の日本での公開日、渋谷の映画館で視聴した。また、その後、「Avicii Tribute Concert」でスウェーデンのストックホルムを訪れた際に、Netflixでも、二、三度視聴している。
Avicii – I’m Tim (2024)
そして、今回、Netflixにて、
2024年12月31日(火)、Avicii(アヴィーチ)のドキュメンタリー第二弾となる『I’m Tim』が配信される。この『I’m Tim(2024)』は毎年ニューヨークで行われる『トライベッカ映画祭(Tribeca Festival)』にて、2024年6月9日にプレミア公開され、その年10月9日には、スウェーデンでも公開済みである。
それがこの度、Netflixに上陸するということで世界中のNetflixにて視聴可能であり、その中になんと今回は、我が国『日本(Japan)』も!
予告編|Avicii – I’m Tim
ニューヨークにも、スウェーデンにも、今年2024年は足を運んでいないため、Netflixでの配信開始されていない———この記事を執筆している現在(2014年12月29日, 30日)は、まだ僕自身、『I’m Tim』の本編を視聴しておらず予告編の情報しか持ち得ない。
Aviciiファンの皆さん、日本語字幕ですよ!
視聴“前”の情報(点)から、推察するに…
① 共通(点)
ただ一つの共通(点)は、
それが、社会的な公式の Avicii (アヴィーチ)の『ドキュメンタリー』フィルムであること。
② 相違(点)
視(点)
2024年公開のドキュメンタリーと2017年公開のドキュメンタリーの”何が違うか”と言うと、一番は「映画監督(ディレクター)」である。
そして、これが”何を意味するか”と言うと、
第一弾の『True Stories (真実の物語)』では「Levan Tsikurishvili」という、チームAviciiに、数年同行していたカメラマンで、チームAvicii〈内〉の人間であった。またAvicii本人Tim(ティム)は生前であり、本人のチェック後、世に出されたドキュメンタリー映画である。
して、第二弾の『I’m Tim (俺はティム)』では「Henrik Burman(ヘンリク・バーマン)」という、スウェーデンのジャーナリストで、チームAvicii〈外〉の人間であること。またTimは他界しているため、本人チェックは行われず、両親チェックで世に出たドキュメンタリー映画だ。
前回の『True Stories』は、Timにとっては、より、真実そのものであったかもしれないが、周りにいた人的には、真実ではなかった側面もあるのかもしれない。
Tim個人の“記憶”の書き換え、もしくは喪失、よく言えば、Timが必要性を感じなかったもの、悪く言えば、Timには不都合だった情報、は、省かれている可能性があるということだ。
Timの両親からは、もっと違った感じでTimが見えていて、レコード会社の社長さんもTimとは立場が違い、Tim本人とは異なった景色を見ていて、また同じ現実であっても、別の捉え方、受け取り方、解釈をしていたのかもしれない。
そういうこともあって、
前回のチームAvicii〈内〉から提供されたドキュメンタリーではなく、もう少し外側からチームAvicii〈外〉の人達から、Timを、映しまとめたフィルムの必要性があったのであろうと思う。
聴(点)
Coldplay(コールドプレイ)のボーカル Chris Martin(クリス・マーティン)のインタビューの有無。
前回のドキュメンタリー『True Stories』では、Timが生前であり、クリスとの、スタジオセッションにおける会話映像は含まれていたがTim死後のクリスのインタビューは、もちろん含まれていなかった。
また、クリスは、Timの死後、公の場で、Timについてほぼ語ることなく、沈黙を貫いている。あんまりTim個人との関係は語らなそうだが、Timの死後に語っているクリスのインタビューは、個人的に興味深く、ぜひ聴いてみたい。
自伝本『Tim』
Tim Bergling (ティム・バーグリング)の死後、公式に出版された自伝本のタイトルは『Tim』で2024年12月31日に、Netflixで世界中で配信されるドキュメンタリー映画タイトルの方は、『I’m Tim』。
また予告編でも少し話されているが、Tim自身が、アーティスト名のAvicii (アヴィーチー)、世に知られている社会的な仮面(ペルソナ)と、Timという一人の人間の、ズレ、不一致に、悩み苦しんだ経験に最もフォーカスが当てられている作品となっているのだろうか。
Timは、Aviciiという音楽家として1stアルバム『True』、2ndアルバム『Stories』をリリースし、EP『Avici(1)』もリリースした後、3作目のアルバムを制作する中で、自分自身の音楽は、何を表現すべきか、どこに向かっていくのか、いや、どこに帰っていくのか、芸術家として自己表現を悩み、葛藤していた。その苦悩の中で、Timが見つけ出したものが、本来の自身自身に還る。つまり、『Tim』だったのだと。そのアルバムの完成間近で、Timは亡くなってしまったわけだが、彼の死後に、完成された3rdアルバムのタイトルは、『TIM』であった。
1stアルバムと2ndアルバムのタイトルから得た第一弾のドキュメンタリー『True Stories』。そして、3rdアルバムのタイトルに“I’m”を補足した第二弾のドキュメンタリー『I’m Tim』。
これほど自己表現としてシンプルに、(点)が『線』となっていく人生を歩んで行った人は、数少ないと思う。「(点)が『線』になる」ということは、本人が直感に従って、自分自身の本当の人生を歩んで行ったことの証だと思う。
ただそれが、“Avicii(無間地獄)”、つまり“絶え間ない地獄”のように、苦しい人生であっただけであって、その過程を通し彼は“Tim(ティム)”という、本来の自分自身へ還って行ったのだ。
そう考えると、彼の人生は、「大成功」だったに違いない。
でも、どんな人も「幸せ」を求めてる一方で、この世界、この地球という惑星に楽しにきた人なんていなくて、みんなこの地球に、本当は、「苦労」をしに来たんじゃないかとも思う。
呪術廻戦の宿儺(すっくん)に言わせれば、
「贅沢者め」とのことだろう。
幸せを探求し、多くの苦労をしてきたティムは紛れもない贅沢者です。笑
2016年に、Timがアメリカ横断している期間の“Without You”制作風景だが、最後の部分は、男子校ノリを感じざるにいられない。笑
あれは、野郎ノリです。。。
なぜ、『Avicii – True Stories』は、Netflix(日本版)で配信停止なのか。
日本のNetflixでは見れない理由が公表されてるわけではないので、本当のことはわからないが僕個人が推察するに「AviciiことTim Berglingが自殺による死亡」だと公表されていること。また、Timがこのドキュメンタリー映画内で「現代医学への疑問を提示している」こと。
この2点が社会にとっての「不都合な真実」ということで、日本では除外されているのでは、僕自身は推察している。
なので、おそらく、日本版でも許可が降りたドキュメンタリー映画『I’m Tim』については、前回の『True Stories』では触れられていた、医者のシーンなどは全部カットされてるはず。
もちろん、ドキュメンタリー『True Stories』が公開当時は、Timは生きていて、その後、Timが亡くなるという時系列であり、当時の医者はその時のベストを尽くした結果、そうなったわけで、医者がTimを苦しめたかもしれないが、殺したわけではないので、そう誤解を与えてしまうような、時系列での出来事であることを考慮して、日本では配信停止なのかもしれないが、そもそもTimが言及した「西洋医学の薬の巨大ビジネス」、また『Avicii – For a better day』のMVで描かれた「児童売買」とは、この支配社会の「闇」であり、タブーなのである。
音が閉ざされた門の先にいる人達にもTimは「音(光)」を与えようとしてしまったのである。
どれだけ、現代日本人が自覚しているかは知らないが、今の日本というのは、北朝鮮並みに、情報統制されている。誰かが、「日本は明るい北朝鮮」と評していたが、確かにそうである。ただどんどん、その明るさすら無くなってきていて、暗い北朝鮮と化している気がするが……
ダメじゃん!笑
この表題「なぜ、『Avicii – True Stories』は、Netflix(日本版)で配信停止なのか。」に関しては、長くなったので、そのままカットし、別の記事として、近々公開する予定である。
“思考”と“記憶”…
少しドタバタになってしまったが、
ここまで『Avicii – I’m Tim』をNetflixで視聴する前に今“思考”したことを書き記してきた。『動画(本編)』を観る前に、限られた少ない情報から、まず自分自身で、“思考”するということ。
最近は何でも情報が一方的に与えられ続ける。その大量の情報を受け取る中で、僕たちは、
“思考”する機会を失っているように強く思う。
だからか最近、他人に意見を問うても、その人自身が自分の意見をきちんと持っておらず、会話にならない。中身が空っぽなのだ。みんな決められたことや言われたことをただこなすことばかりで、スマホを得ても、流れてくる情報を眺めて反射しているだけで、自分軸で“思考”していない人が多い。若者だけじゃない大人もだ。
映画にしても、漫画にしてもアニメにしても、その作品の口コミとか、twitterでの誰かの意見とか、他人の意見に触れる前に、情報源に直接アクセスすることが大切だと思う。
足を使え、歩け!歩け!歩け!
みんな、二次情報の使い回し、二番煎じの情報ばっかりなんだから!
これからの時代は、歩いて歩いて、足で第一次情報を掴んできて、それをきちんと自分の型に落とし込めた者が、一人勝ちする時代だ。
そのあとで、その上で、他人の意見を参考するというのが、ベストだと思う。自分の意見だけではどうしても見方が偏るので、そういう言った意味でも、Aviciiのドキュメンタリー映画は、片方ではなく、両方とも見て、Timの生き方に迫っていくことが大切なのかもしれない。
※もし今後、ドキュメンタリー『I’m Tim』のみ視聴可能で、『True Stories』が視聴不能な事態が続けば、それは明らかな情報統制であり消えたシーンが、『不都合な真実』であったということだ。視聴者は、真実を判断する情報に欠けてしまうので、僕は両方公開して、視聴者本人の判断に委ねるべきだと思う。
こういう時代だからこそ、自分は、
予告編だけ、ポスターだけとか、少ない最小限の情報の中から、どういう作品になっているのか、“思考”し、注目点を控えておき、実際に見るときも、映像を完全に受け身で垂れ流すのではなく、攻めの姿勢で、自分自身の人生に取り入れていこうと思う次第である。
久々に、Aviciiの記事を書いたら、色々忘れていて、“記憶”という珍味にも、考えさせられた。
ブログの腕が鈍っているのは、ご了承下さい。
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